元女優・君島十和子さんの「大胆な転身」のその後 好きだった美容が仕事として花開いた18年間

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しかし、人生とは不思議なもの。思いがけない場所に、新しい種がまかれ芽吹き始めていた。

現在では、雑誌やテレビ、SNSでも美容情報が飛び交っている。美容家や女優のみならず、一般の美容マニアも美容を語る時代だが、1990年代くらいまではそうではなかった。しかし、十和子さんは当時から積極的に美容を語っていた。

「女優のお仕事をしていた頃から取材で聞かれると、美容についてはあけすけに語っていましたね。今は、メイクのみならず整形のことも語る人も増えていますけど、当時の芸能界では、『美の秘訣? 特に何もしていません』と語るのが美徳でした。でも、私は好きなことだからと嬉々として語っていて珍しがられましたね(笑)」

美容のプロとして

いつしか彼女は、美容を語る美のプロとして世間に認知され、女優引退後も雑誌などの取材を時折受けるようになっていった。

2001年、夫の誉幸氏とともに、東京の青山通り沿いに洋服や小物のセレクトショップ「フェリーチェ青山」をオープン。妻として店をサポートしていたが、彼女が語る美容情報は各所で評判を呼んでいたこともあり、この店で初めて化粧品開発に携わることに。生粋の美容マニアとしての愛を注ぎこんだ商品は評判を呼び、コスメラインは店の主力商品になっていく。

FTCの化粧品(撮影:今祥雄)

化粧品事業は2004年「株式会社FTC」として独立。2005年、39歳の時に発表した「フェリーチェトワコ UVパーフェクトクリーム」は、 “紫外線カット効果は高いけれど、塗っても白浮きせず、肌にも優しい”と評判に。たちまち口コミで広がって、空前の大ヒットとなり、雑誌でも特集が組まれるなど、ブランドの地位を決定的なものにした。

「私が消費者としての思いを追求して試作を重ね、完成したUVクリームでした。それが仕事に家事に忙しい女性たちに支持していただけたことに深い喜びを感じました。

実は、化粧品製造の歴史もまた長い間、「男性社会」だったと私は聞いています。でも、女性が使う化粧品は、やはり女性でなければわからない使用感や機能もあります。私が化粧品を作り始めた時期は、女性ならではのリアルな使用感を反映した化粧品が求められ始めていた。時代が追い風になったのだと」

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