そう思った矢先、大きな転機が訪れた。29歳の時、後の夫となる君島誉幸さんに出会ったのだ。日本を代表する服飾デザイナー、君島一郎氏を父にもち、オートクチュールブランド「KIMIJIMA」の次期後継者として家業を支えていた。十和子さんは、「KIMIJIMA」のブライダルコレクションのモデルを務めていた時に彼に出会った。
好きなものも感性も似ていた2人は、自然と惹かれ合い、付き合いを重ねるうちに人生のパートナーとして意識するように。結婚を決断する時も迷いは微塵もなかった。
「結婚と同時に芸能界引退も決意しました。女優業は年々楽しく、充実したものになっていましたが、全身全霊でなければ続けられない仕事。彼の家業を支えながらの両立はできないだろうと思ったんです」
反対された結婚を辞めなかった理由
一流ブランドの御曹司と人気女優の婚約は、1995年冬、世間に発表された。ほどなくして、逆風が吹き始めた。婚約発表の直後は「玉の輿婚」と言われつつも、君島家の複雑な事情や、誉幸氏の過去の人間関係などが週刊誌やワイドショーで取り上げられたのを皮切りに報道は加熱。次第に事実は歪められ、捏造されながら肥大したストーリーは人々の想像力を刺激した。
それでも、十和子さんの結婚への決意は揺らがなかったのはなぜだろう?
「報道直後は、散々、『結婚をやめたほうがいい』と言われました。お仕事関係者や友人からも大反対されたし、視聴者の方々からも心配のお手紙をたくさんいただいて。それでも、結婚を辞めなかったのは、彼を盲目的に信じていたからというよりは、信じようと自分で決めたからです。あの頃は、四方八方からいろんなこと言われて傷ついたし、周囲の人々も傷つけてしまって。29歳にして、大人の世界、社会の裏をフルコースで見せられました。
そこで、気づいたのは、結局、人生は自分がどう生きたいかしかないということ。先のことは誰にもわからないし、どの道を選ぼうと、今後も好き勝手言われる。善意も悪意もあるだろうけど、振り回されていたらキリがない。結局、自分が決めるしかないし、決めたことを全うするしかないと思えたんです」
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