IT業界では、“ツキの村上”で有名です--村上憲郎・グーグル日本法人元社長/前名誉会長(第3回)


 京都大学へ行ったのも、中学の修学旅行の行き先が京都で、「こんな所で勉強してみたいな」と思ったからです(笑)。高校が旧制中学時代からの名門進学校で、何を聞いても答えてくれるような高等師範学校出の偉大な先生方とたくさん出会うことができましたので、学問に対する憧憬のようなものはありましたが、その先生方も世情には疎く、世間知についてはまったくないまま京都大学に決めたんです。

入学したものの学生運動に夢中になり、何とかコネで日立電子に潜り込みました。日本DECへ転職したのも、日立電子がミニコンピュータ事業から撤退することになったからです。せっかくならミニコンピュータを代表するDECへ行こうと、ほとんど計画性なく移ってしまいました。日立電子の同僚は「お前英語大丈夫なのか?」と心配してくれましたが、気にせず転職してしまったため、DECに入ってから英語で苦労したわけです(笑)。DECの本社がボストンにあったので結果として海外に行くことになっただけで、もともと海外志向があったわけでもありません。

経営層の道を初めて考えたのも、息子の教育問題がきっかけでした。ボストンに移ったとき息子は幼稚園くらいだったので、5年のビザが切れる頃には10歳くらいになっていました。ほとんど英語ネイティブで、年齢が上がるにつれて日本語がおかしくなってきたんですよね。電話をとったときに「これは村上です」なんて言うんですよ(笑)。会社からはグリーンカードを取ってあげるとも言われていましたが、息子の教育を考えたら連れて帰るべきタイミングなのかなと思いました。

また、そのとき自分も40歳くらいで、アメリカだとVPになっていないと将来がない年齢でした。その段階で少なくともMBAを取っていないとステップアップは難しいんですよ。MBAの夜間講座に通っている同僚などもいましたが、自分の強みを活かすのであれば日本に帰ってトップマネジメントに挑戦するほうがいいと考え、1991年に帰国しました。

当時はバブル崩壊の時期でした。自分はボストンにいてバブルを経験していないため日本がどういう状況なのかよくわからなかったんですよね。日本の景気は特に気にせず帰ってきてしまいました。グーグルが計画どおり成功してきたわけではないのと同じく、私も10年計画のようなものに沿って着々とキャリアを重ねてきたわけではないんです。

IT業界では「ツキの村上」で有名ですよ(笑)

(撮影:尾形文繁)

むらかみ・のりお
2003年4月、Google Inc. 副社長兼 Google Japan 代表締役社長として Google に入社以来、日本における Google の全業務の責任者を務める。09年1月で社長退任、名誉会長就任。10年12月名誉会長退任、現在に至る。京都大学大学院非常勤講師、会津大学参与。Google入社以前には、01年にDocentの日本法人であるDocent Japanを設立し、同社の社長としてe-ラーニング業界でリーダーシップを発揮。1997年から99年の間は、Northern Telecom Japanの社長兼最高経営責任者を務め、Northern Telecomに買収されたBay Networksの子会社であるBay Networks Japanとの合併を成功に導く。後にNortel Networks Japanと改名された同社において、01年中旬まで社長兼最高経営責任者を務める。日立電子のミニコンピュータシステムのエンジニアとしてキャリアをスタートした後、Digital Equipment Corporation(DEC)Japanのマーケティング担当取締役などを歴任し、マサチューセッツの DEC 本社にも5年勤務。京都大学で工学士号を取得。

■CEOへの道は、エグゼクティブ向けの人材会社・経営者JP主催のセミナー「トークライブ・経営者の条件」との連動企画です。※本トークライブは1月27日に行われました。
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