「元祖再生人」二宮金次郎に学ぶ地方創生 薪を背負っていたのには、理由があった!

✎ 1〜 ✎ 5 ✎ 6 ✎ 7 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

しかし、実は彼は、薪を親に言われて、「労働として」背負って運んでいたのではなかったのです。

「あの姿」は、自ら山を二束三文で借りて木を切り出し、当時は「重要な燃料」であった「薪」にしてまちで販売するという、エネルギー事業に精を出していたものだったのです。そして、その稼ぎをもとに、人々に低利での金貸しを行って生活を支えていくという金融事業まで興した、事業家でもあったのです。

さらに、それらの事業経験をもとにして困窮にあえぐ地域を再生する、現代でいう、「地域再生のプロ」としても大活躍していたのです。

再生の第一歩とは、収支を黒字にすること

そもそも、なぜ地域は困窮するのでしょうか。昔も今も本質は変わりません。地域が困窮するのは、行政も民間も、さまざまな事業の収支が赤字になるからです。

赤字の悪影響は、実際に生活が困窮し、借金を重ねていくというだけにとどまりません。将来に希望を持てない生活に、身も心も荒廃してしまうところにあります。

そのため、まずは慢性的に赤字になっている状況を黒字に変えるのを、彼は再生の第一歩としています。

単純な話、赤字になるのは、収入に対して支出が大きすぎるわけです。

江戸時代後期は、人口減と共に、今の日本の状況と同様に、幕府の財政も赤字、藩の財政も赤字であるところが多数ありました。彼は、幕府や藩のような、今で言う行政であろうと、民間であろうと、はたまた農村であろうと都市であろうと区別なく、しっかり収支を黒字にすべしとしています。

そのことを、二宮金次郎は「分度(ぶんど)」と呼んでいます。簡単にいえば、収入に基づいて支出を決め、黒字体質にする、ということでしょうか。

彼は、地域の再生計画を建てる上で、まずは収入を増加させるため、稼いでいないさまざまな資産を、わずかでも収入になるよう、徹底的に「営業」をします。

例えば、彼は庭に生えている梅の木の実でさえも販売させます。蔵に備蓄しているコメは、大坂・堂島の相場を見ながら高値で売却をしていったりしています。さらに、奉公人たちに裏山の木を切り出して、薪として販売させます。その収入は基本的に奉公人たちのものとし、精力的に稼ぐ動機を与えています。

一方で、「使いすぎ」の予算を削減して、収入に見合った規模に最適化させます。

例えば、当時の生活において、薪や菜種油などの燃料代は決して少なくありませんでした。このごろは下がってきましたが、今のガソリン代や灯油代に苦しめられる家計とそっくりですよね。彼は、鍋底についたススを落とすと燃費が改善するため、飯炊き担当の人などに「鍋底のススを綺麗に落として一升にしたら、2文で買い取る」というルールを考案します。

次ページピケティよりも約200年前に格差問題に取り組んだ金次郎
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事