国語では読解力が重要だと言われていますが、これは論理的に読めるかどうかということと同じ意味で使われたりします。しかし、○○と○○は同じことを言っており、●●と○●には違和感があり、〇〇と●●は同じものではないと認識するためには、まずは感性で判断しなくてはなりません。
たとえば小説を読んで答える問題では、感性でもって、登場人物の心の状態になって読み進めていくと解答はおのずと出てくるのですが、どうしても表面的な活字に振り回され、中身よりも形を優先してしまい、間違った答えを出してしまうことが多いようです。
論理、論理、論理……「理屈でいけばこうだよね」と論理を積み上げていって結論が出る場合もありますが、実社会では、その論理を積み上げた上の結論が間違っていることが少なくありません。
「A=B、B=Cであるならば、A=Cである」というようには、現実にはなりません。実際は「A=Cであるようだと直感で感じ(仮説)→ なぜだろうと疑問が出て→ それはA=Bであり、B=Cであろう」ということがわかり、それを逆に組み立てると、「A=B、B=Cであるならば、A=C」となるのです。
このときの直感で判断した仮説は感性が生み出したものであり、論理によって生み出されたものではありません。この感性抜きには、実は論理は成り立たないのです。
感性はどうやって育てるか?
私はこれまで塾で多くの生徒を指導してきましたが、頭のよい子は、この感性が優れていました。つまり、理屈よりも感覚でとらえる力があるのです。論理だけが頭のよさを促進しているのではない、と私は断言できます。
世間を見回してみても、論理力よりも感性が強い人のほうが、勉強も仕事もできるように感じます。理屈ばかりこねる人は仕事ができないとよく言われますが、まさにこのことを意味しています。
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