今年2月には自伝的エッセイ『乙女オバさん』(小学館)を上梓。離婚や大病のことのみならず、俳優として母としての葛藤と喜び、大切な人との不意の別れなど、彼女がこれまで歩んできた道のりについて、自らの言葉で心の奥までつづっている。
「書籍のお話をいただくまでは自分の人生を振り返ってみようなんて考えもしませんでした。私はいつだって今がすべてだし、前にしか進めない体質。そこに変わりはないけれど、1度、ここまで歩んできた自分を記してみることも必要かもしれないなと」
心境の変化の理由を尋ねると、「コロナ禍は大きいですね」と南さん。
「皆さんそうでしょうけど、仕事も日常生活も今まで通り流れていかず、人にも会えずに閉塞感を感じていて。でも、この状況の中、次第に今ここでできることを探すようになったんです。たとえば、筋トレして体を整えるとか、花壇でハーブを育てるとか。そんなありふれた日常に喜びを感じました。大きな幸せって時間がかかるけど、小さな幸せは意外と確かなものだな……なんてね。
自分について考える時間も増えました。振り返ってみれば、私って失敗だらけだし、よく生きているな〜と思って(笑)。でも、失敗って時を経れば笑い話になるし、何より、成功より失敗のほうが人生に生かせているなと。と、いうことは、私の失敗談は誰かのためにもなるかもしれない、そう思えてきたんです」
複雑なアイデンティティで培われた表現欲
南果歩さんは、1964年、在日韓国人の両親の元、5人姉妹の末っ子として兵庫県尼崎市に生まれた。お笑いコンビ・ダウンタウンの出身地としても有名な下町の工業地帯だ。
家族7人でも余裕が持てる豊かな暮らしを営んでいたが、南さんが小学校2年生の時に、父親の会社が倒産。持ち家が人手に渡ってからは、引っ越しを重ねながら少女時代を過ごした。
日本で在日韓国人として生まれ育つには、今よりも偏見のあった時代のこと。苦い思いも少なからずは味わったかもしれない。複雑なアイデンティティを抱えて育ったことは、南さんの想像力と表現欲を育ませるプラスの要因になった。
高校時代は、部活でバトントワリングという競技で自己表現することに夢中になっていたが、踊るだけでは何かが足りないと感じていた。そんな時、言葉を使うことが自分には必要なんだと思えてきた。「もっと言葉を発したい。言葉を使って表現したい」という思いが体の底から湧き上がって、俳優を志すように。
大学時代、映画『泥の河』が高い評価を得ていた小栗康平監督の映画『伽倻子のために』のオーディションで主役をつかんでデビュー。その後も、日本の映画やテレビで活動しながら、27歳の時にはアメリカ映画『カッコーの巣の上で』『アマデウス』などを手がけた大物、ミロス・フォアマン監督の新作オーディションに挑んで最終選考まで残るなど、挑戦と冒険を繰り返してきた。
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