エジプトの正念場はこれからやってくる イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト
こうした選択は別のジレンマを生じさせた。イスラム主義政党への弾圧が穏やかな結果に終わることはめったにない。宗教政党は警察国家に抑圧されればされるほど過激になる。エジプトやサウジの政治体制が圧政的でなく、腐敗していなければ、オサマ・ビン・ラディンはテロ要員を確保できなかったはずだ。
信仰に基づく政治がつねに暴力的であるわけではない。イスラム教徒は体制に歯向かった唯一の存在ではない。ポーランドでカトリック教会が主要な役割を演じたように、ミャンマーでは仏教が軍事政権に反対している。宗教組織は政権の腐敗や圧制に反対する際に、動員力を発揮するのだ。反乱は政治的であると同時に、道徳的なのである。
反リベラルな政権が誕生すれば事態は悪化
宗教組織は権力を掌握すると非民主的になる。宗教的権威が人々に神に服従することを要求するからだ。79年にホメイニ師がイラン革命を乗っ取ったとき、イランでは民主主義は不可能になり、聖教者が独裁者になったのである。ただし、すべての宗教政党が非民主的だというわけではない。ヨーロッパのキリスト教民主主義者は、民主主義にとって脅威ではない。
チュニジアとエジプトの蜂起の最大の特徴は、イスラム教徒の果たした役割が小さかったことだ。チュニジアの政変では、イスラム主義の非合法のルネサンス党は姿を現さなかった。エジプトでも、大きな勢力を保持していた非合法のムスリム同胞団は地下に潜ったままだった。両国にはホメイニ師に相当する人物は存在せず、ジハード(聖戦)的な主張もなかった。人々を街頭に駆り立てたのは、経済的な不満と、政府の腐敗と人権抑圧に対する怒りだった。
こうした怒りが信仰によってあおられ、恐ろしい暴力につながるおそれもある。反乱が失敗し、一段と強い弾圧が加えられれば、なおさらそうだ。自由選挙の結果、ノーベル平和賞受賞者であるモハメド・エルバラダイのような穏健派による暫定政府が作られたとしても、強大な組織を持つムスリム同胞団が大きな役割を果たす可能性はある。