70年代のアメリカを知らずに今の世界は語れない 空白などでなく現代を規定する諸要素が生まれた
もう一つは、いま申し上げたことと逆のことを言うようですが、現在の人と過去の人はまったく別の経験をしているということです。ある意味、同じアメリカ人であっても外国人のようなものなのです。私はそのことを「過去の異質性(otherness)」と呼んでいます。
私たちが理解しなければいけないのは、過去を知識として知るだけでなく、そこには独自の風習や伝統、言語があったということです。カルチャーはそのことを「劇化」してくれます。
そこから見えるのは、物事の変化が人々に影響を与えるのと同時に、人々が物事を変化させ得るということでもあります。私たち自身が世界を変えることができるのです。
それと同時に、寛容の精神の重要性にも気づかされます。私たちは変わるのであれば、私たち自身が直面する人や文化というものに対して柔軟な態度を取る必要があるのではないでしょうか。そしてそれこそが、新たな映画、音楽、文学などのカルチャーを創造していくための条件となるのです。
大衆文化が政治に取って代わった
私自身が70年代に高校・大学時代を過ごしたので、この時期のカルチャーが私を作ったと言っても過言ではありません。ただ、そうした個人的な事情とは別に、この時代の決定的な特徴の一つは、アメリカ人のアイデンティティを形づくるものとして大衆文化が政治にとって代わったことが挙げられます。
個人のイデオロギー、政治的な所属や出身地などよりも、個人がどのような大衆文化に所属するか――つまり、どのような服を着るか、どのような音楽を聴くか、どのような映画を観るか――といったことが重要となったのです。
ですから、大衆文化の過去を振り返ることなしに、21世紀のアメリカや世界を理解することはできないと思います。
そのことは、ハイポリティクスの世界においても表われています。1980年にはハリウッドでキャリアを開始したロナルド・レーガンが大統領に選ばれました。そして、2016年には、まったく政治経験のないリアリティ番組のスター、ドナルド・トランプを人々は大統領として選んだのです。
もちろん、これは表面的なことかもしれませんが、人々の政治に対する考え方、世界に対する見方を考える上で、大衆文化を理解することが必要不可欠なことは間違いありません。
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