ホンダが仕掛ける電池戦略の「必然」と「死角」 ホンダOBが明かす、電池開発「30年の歴史」

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ただ、その後ホンダが重点を置いたのは、EVではなくハイブリッド車(HEV)用のニッケル水素電池の開発だった。まずは松下電池との開発を進め、1999年にはホンダ初のインサイトHEV用途として実用化につなげた。

その後、三洋電機や東芝との共同開発もスタートした。東芝とは高性能なニッケル水素電池の開発に成功した直後、同社の事業が三洋電機に移管された。こうしてホンダのHEVには三洋電機のニッケル水素電池が搭載されることになった。

そして筆者が率いる電池のプロジェクトで1999年に新たに着手したのが、車載用リチウムイオン電池(LIB)の研究開発だ。

当時、リチウムイオン電池は小型のビデオカメラやパソコンなどのIT機器に搭載されていたが、車載用の研究開発では世界的にもホンダが先駆的であった。というのも、2019年にノーベル化学賞を受賞した旭化成の吉野彰氏が主催するLIBの異業種交流会に、自動車業界の代表メンバーとして招かれ意見交換を続けてきたことで、いずれは車載用途にも適した電池になると洞察したからである。

車載用LIBの研究をするにあたって、共同研究の相手として選んだのは、当時高い技術を有していた三洋電機(2008年にパナソニックが子会社化)と日立製作所だ。2003年には、HEV用のLIBの技術を確立し、実験車に搭載するまでに発展させた。

突然の方針転換で電池研究が頓挫

ところが、それを境に2000年を過ぎるとホンダでのLIBの研究開発に逆風が吹き始める。2003年、株式会社本田技術研究所の経営陣の1人が、「車載用途でLIBは実用化できない」と言い始めたのだ。

ホンダは電池の研究開発とは別に、電池とは異なるメカニズムで電気エネルギーを蓄積する「大容量キャパシタ」の研究開発を1993年からスタートさせており、主電源としてHEVへの搭載を目指していた。「これからは大容量キャパシタだ。佐藤さんもLIBの研究開発をやめて、キャパシタの部隊に合流したら?」と提案された。

筆者はキャパシタがHEVの主電源になることは原理的にあり得ないと考え、その提案を断った。しかし、LIBに研究開発費はほとんど回ってこなくなり、プロジェクトのメンバーは次々とキャパシタの部隊に異動していった。最終的に、LIBのプロジェクトは筆者と部下の2人だけに追いこまれた。

ホンダでのLIBの研究開発が暗礁に乗り上げていた2004年1月、筆者のもとへ韓国のサムスンSDIからのオファーがあった。驚いたものの話を聞いてみると、2001年にモバイル用LIBの事業化に成功した同社が、車載用事業にも拡大させたいというのだ。

詳細にその考えを聞いてみると、ホンダの考えよりも論理性があった。熟考したうえで、筆者は2004年9月にサムスンSDIの常務役員として移籍することにし、韓国に渡った。

サムスンSDIの中央研究所にて技術経営を担っていた2006年、ホンダに関する大きなニュースが飛び込んできた。同社が大容量キャパシタの開発・量産に失敗し、量産プラントを封印したというのだ。大容量キャパシタはかろうじて、2002年の燃料電池車(FCV)に搭載されたものの、性能が不十分であることが露呈。2006年にはLIBに転換したのである。

今後はさらなるLIBの開発をしていく体制へとシフトするのだという。筆者が「やはりそうなったか」と感じた瞬間であった。

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