ホンダが仕掛ける電池戦略の「必然」と「死角」 ホンダOBが明かす、電池開発「30年の歴史」
世界で販売する新車を、2040年までにすべて電気自動車(EV)か燃料電池車(FCV)にする「脱エンジン目標」を宣言しているホンダ。
4月12日には電動化戦略に関する説明会を開催し、10年間でEVやソフトウェア関連に5兆円を投じ、EVの年間生産台数を2030年までに200万台にすると明らかにした。
ホンダの電動化を見ていくうえで重要な論点の1つが、EVに搭載する電池の調達だ。電池はEVの価格の約3割を占めるとされ、車を展開する地域ごとの調達戦略が求められる。
はたして、ホンダの電池戦略は磐石なのか。
それを語るうえでは、ホンダと電池のこれまでの歴史を知る必要がある。時間を30年ほどさかのぼってみたい。
32年前に始まったホンダの電池開発
1990年の9月、アメリカ・カリフォルニア州で電気自動車法規(ZEV)が発効した。ZEVとは、ゼロエミッションビークルの略で、1998年にカルフォルニア州での販売量の2%をEVにすると定めた法律である。ただし、販売量が多いアメリカのビッグ3、ゼネラル・モーターズ(GM)、フォード、クライスラーと、日系ビッグ3のトヨタ自動車、ホンダ、日産自動車の6社だけを対象としていた。
当時、本田技術研究所・基礎研究所に所属していた筆者は急遽、研究所内に車載電池研究機能を創設するよう託された。それまでのホンダには、電池やモーターの研究機能はなく、全く新しいスタートであった。
こうして真っ白なキャンバスに絵を書ける機会をもらった筆者は、ホンダの電池研究戦略を立てることからスタートし、研究開発機能を作り上げた。
ホンダの車載電池研究を始めた当初、単独での研究開発は困難だった。そこで共同研究を打診したのが、産業技術総合研究所、モバイル用ニッケル水素電池の事業化を開始していた松下電器(現パナソニック)、さらにはアメリカのベンチャー、オボニックだ。その後、オボニックの技術には見切りを付け、松下電池工業とニッケル水素電池の車載用大型電池を開発。カルフォルニア州で、約350台のEVを供給することができた。
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