東上線ときわ台、南宇都宮と「駅舎そっくり」の謎 大谷石と三角屋根、東武「理由はわからない」

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ただ、長い歴史の間にはさまざまな部分が変わっている。同駅も図面は残っておらず、過去の写真もなかった。須長さんは「資料は本当に少なくて、写真を持っている方がいないか地元の方に聞いたんですが、ないんです」。そこで、再現にあたっては開業時から残っている部分を調査して作業を進めた。

南宇都宮駅の大谷石の壁。やや色が違う角の部分はリニューアルの際に補修している(記者撮影)

屋根のフランス瓦は傷みもあったためすべて交換したが、今では当時の規格の瓦は製造されておらず、現在手に入る同種の瓦を使った。開業時と同様の色を再現するため、何度も釉薬の成分を変え、試し焼きを繰り返して色を合わせたという。

大谷石の壁も、とくに角などは傷んでいる部分も多かったため、オリジナルを極力生かしつつ欠けた部分などは新たに張り変えている。また、昭和40年代に駅事務室を取り巻く形で一部増築された箇所の壁面は原型が不明のため、この部分は開業時から残る壁と同様の仕上げを施した。

確かなことはわからないが…

南宇都宮駅は閑静な住宅街にあり、開業からとくに主要駅ではない。その小駅に凝った駅舎を建てたのはなぜか。当初の駅名だった野球場の存在も考えられそうだが、「実は野球場は駅舎があるのと反対側でした」と須長さん。破風板に刻まれた波状のラインと丸を組み合わせた模様はバットとボールを模したとの説もあるが、「あくまで一説」だという。破風板の模様はときわ台駅も同じだ。

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須長さんは、大谷石輸送のPRがこの駅舎を生んだ1つの理由ではないかと考える。東武は同駅開業前年の1931年、地元の「宇都宮石材軌道」を買収して大谷石輸送に進出している。明確な記録はないものの、「石材輸送量を増やして増収につなげるため、大谷石を使って広告塔になるような駅を造ったのでは」との推測だ。

そしてもう1つは駅周辺の街づくりとの関連だ。実は南宇都宮駅の周辺は、駅を中心に放射状の道路が延びている。須長さんによると、付近では1931年に地元主導で区画整理事業が始まったという。やはり記録はないものの、「事業の施工と駅舎新築のタイミングを踏まえると、計画として一体的に進めたということは考えられるのでは」と須長さんは語る。

南宇都宮駅が石材輸送の広告塔や街づくりの一環だったのかどうかは、記録のない今となっては確かなことはわからない。そして、なぜその駅の意匠がときわ台という新たな住宅地の玄関駅に引き継がれたのかも、確かなことはわからない。謎は謎として残るままだ。ただ、80年以上前に無名の設計者が込めたであろう「街のシンボルとなる駅舎」への想いはその後も生き続け、今も関係者や住民に受け継がれていることは確かだろう。

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小佐野 景寿 東洋経済 記者

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おさの かげとし / Kagetoshi Osano

1978年生まれ。地方紙記者を経て2013年に独立。「小佐野カゲトシ」のペンネームで国内の鉄道計画や海外の鉄道事情をテーマに取材・執筆。2015年11月から東洋経済新報社記者。

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