駅舎リニューアルの検討が始まったのは約10年前。開業から70年以上が経過して老朽化が進み、耐震補強などが必要になったことがきっかけだった。昭和30~40年ごろに改札口の移動と自動券売機の設置で外観は変わったものの、建物自体は1935年の開業以降、大規模な更新をほとんどしていなかった。
当初は建て替えも検討したが、地域住民から街のシンボルである駅舎を残してほしいとの要望は根強かった。塚越さんは「これだけ愛されている駅舎なら、極力開業当時の姿を再現しつつ残そうという方向になりました」と、方針を転換した理由を説明する。
図面はなく写真とにらめっこ
ただ、再現への道のりは険しかった。図面は残っておらず、一番の資料は東武博物館に残っていた昭和30年ごろの写真だった。「本当に資料がなく、写真とずっとにらめっこしていました」と塚越さん。ただ、その状況下でも「建築屋としては、再現するからには細かいところまで同じように」することにこだわった。
例えば三角屋根の下にある縦長の3連の窓は周囲に凹凸の装飾があるが、修復が必要な状態だったため写真を参考にモルタルで補修し、開業時の形を再現した。破風板などの塗装も塗り直したが、資料の写真はモノクロ。「色の記憶は難しいですよね。地域の方に聞いても『覚えてないなあ』と(笑)」。そこで、開業以来塗り重ねられてきた塗膜を分析して当時の色を見つけ出した。
また、オリジナルのまま残っていた部分については補修のうえ極力生かしている。例えば三角屋根のスペイン瓦は、駅前広場に面した側とその反対側、池袋寄りの商業施設に面した側の3面が開業当時のもの。3連の窓も、当時の窓枠を補修して使っている。
東武鉄道ときわ台駅と南宇都宮駅
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夕暮れのときわ台駅舎
(記者撮影)
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三角屋根の青いスペイン瓦。手前の3面は開業時から残る
瓦のうち状態のいいものを使っている(記者撮影)
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渋い色合いのスペイン瓦
(記者撮影)
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波状の模様がある破風板と3連の窓
(記者撮影)
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駅名板もかつてのスタイルを再現した(記者撮影)
(記者撮影)
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ガラスの欄間も凝ったデザインだ
(記者撮影)
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開業当時とは異なる券売機の部分も欄間を模している
(記者撮影)
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改札は開業当時の位置に戻した
(記者撮影)
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改札上の三角屋根の部分は上まで吹き抜けになっている
(記者撮影)
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改札上の三角屋根の部分。高い天井は格子状だ
(記者撮影)
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駅事務室付近の大谷石の壁
(記者撮影)
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大谷石張りの柱
(記者撮影)
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開業時からの大谷石が残る改札とホーム間の連絡通路
(記者撮影)
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開業当時から残る壁面や柱の大谷石
(記者撮影)
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開業当時から残る壁面や柱の大谷石
(記者撮影)
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凝った彫刻を施した柱の大谷石
(記者撮影)
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幾何学的な凹凸模様の大谷石。昭和初期の職人の
技術の高さがしのばれる(記者撮影)
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ときわ台駅の再現リニューアルを担当した塚越さん
(記者撮影)
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駅舎周辺のギャラリースペースにある
昭和30年代のときわ台駅の写真(記者撮影)
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私鉄郊外の駅らしいたたずまいのときわ台駅
(記者撮影)
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池のある駅前広場とときわ台駅舎
(記者撮影)
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三角屋根と3連の窓、大谷石が特徴のときわ台駅舎
(記者撮影)
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ときわ台駅舎とよく似た南宇都宮駅舎
(記者撮影)
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入口付近や壁面はすべて大谷石張りだ
(記者撮影)
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南宇都宮駅のリニューアルを担当した須長さん
(記者撮影)
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腰から上は縦、下は横に大谷石を並べて張っている
(記者撮影)
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腰から上は縦、下は横に大谷石を並べて張っている
(記者撮影)
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やや色が違うギザギザ模様の部分(右側)は補修している
(記者撮影)
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大谷石の張り方の違いを説明する須長さん
(記者撮影)
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細部まで凝った造りだ
(記者撮影)
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3つの窓が並ぶ妻面
(記者撮影)
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3連の窓はときわ台駅と共通している
(記者撮影)
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床面は開業時から残る石を使い張り直した
(記者撮影)
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南宇都宮駅は三角屋根が吹き抜けになっていない
(記者撮影)
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大きな窓は開業時の窓枠を補修して使っている
(記者撮影)
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改札上の欄間。ときわ台駅と類似したデザインだ
(記者撮影)
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ホーム側から見た南宇都宮駅舎
(記者撮影)
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ホームも大谷石を使っている
(記者撮影)
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新築した駅トイレも実は大谷石を使っている
(記者撮影)
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東武鉄道大谷線の跡地に残る「社有地」の柱
(記者撮影)
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