法廷ミステリーとしての設定そのものは新鮮味がなく、ありがちなものですが、ストーリーの展開はテンポよく、飽きさせません。衝撃の事実がわかるたびに、映画『マトリックス』の名シーンを思わせる少々大袈裟なスローモーション演出は軽妙さを生み出し、そんな映像表現など遊びがあります。
ボリュームは各話40分強、全6話と、「スナック・コンテンツ」と呼ばれるに値する手軽さです。ただし、性的暴行の問題にも踏み込むため、注意は必要です。
日本の視聴者にとっての難点は出演者にもあります。ケイト役のミシェル・ドッカリーこそ、イギリスのヒットドラマ「ダウントン・アビー」のメアリー・クローリー役として知られてはいるものの、ソフィー役のモデルで女優、ファッションデザイナーのシエナ・ミラーやジェームズ役のイギリス俳優ルパート・フレンドなど日本では馴染みのない俳優ばかりです。
見過ごされてしまいがちのイギリスドラマなのですが、裏テーマにある鋭く切り込んだジェンダー概念は見る価値ありでしょう。事件を通じて、ソフィーとケイトが世代間でその捉え方の違いに気づく過程に実はこのドラマの面白みがあります。
劇中ではわかりやすいジェンダー問題発言が続出し、突っ込まれます。例えばこれ。夫ジェームズの不倫が発覚した時に保守党のスタッフが相手の女性を「かわいい雌馬」と表現すると、すぐさま妻ソフィーが「彼女は馬ではない」とぴしゃり。夫の不倫相手をよく思うはずがないソフィーが「それとこれとは別」と言わんばかりに、とっさに違和感を言葉にします。
また政界にいる年配の男性が慰めのつもりで「(浮気なんて)男の性分だよ」と言ったこの言葉にもソフィーが反応します。はじめは受け流すものの「(母が生きた時代のように)ただ耐える人生なんてありえない」と怒りを露わにし、それまで大人しく夫に従ってきた自身を責めているようにも見えます。
'90年代以前と以後で大きな差
つまり、重要なのはソフィーが自分自身もジェンダー思考がアップデートできていなかったことに気づくことにあります。ソフィーが夫と出会ったのは大学時代。同じオックスフォード大学で共に青春を過ごした回想シーンも挟まれながら、夫とその周りが'90年代のその頃のままジェンダー思考が止まっていることに疑問を持つようになるのです。
「私の大学時代と今は違う」という台詞にそれが集約されています。さらに言えば、夫の不倫相手の女性は20代。この彼女こそ「ある告発」の原告人です。ソフィーは法廷での証人尋問を傍聴していくうちに、夫の失態はマインドセットできていないことがすべての原因にあることに確信を持っていくのです。
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