ひろゆき「論破しないほうが頭いい」の納得理由 一流がけっして「はい、論破!」と言わないワケ

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ただ、どんなに正しい、論理的な主張をしていたとしても、相手の逃げ道を全部つぶしてぐうの音(ね)も出ないほどまでに言い負かしてしまうというのは、得策ではありません。

相手を論破したところで、「マウントがとれて、ほんの一瞬だけ自分の承認欲求が満たされる」程度のことしか起きない。

嫌われたり恨まれたりしますし、結果的に「相手を思惑どおりに動かす」ことなんて到底できないと思うのです。

論破しないほうがうまくいく

本当に人を動かしたいのであれば、「論破しよう」なんて考えないほうがいいです。

そもそも「ひろゆき=論破王」のイメージが定着してしまったのは、『論破力』(朝日新聞出版)という本が出ていることも関係していると思います。ただ、あのタイトルは僕がつけたわけではなく、編集者さんが勝手に考えてつけたものです。

「タイトルに文句を言わなかったの?」とつっこまれてしまいそうですが、出版社は1冊でも多くの本を売りたいわけで、そのノウハウは僕よりも出版社にある。だから、そういう人がタイトルをつけたほうがいいのですね。

そして、この本を読んでいただければわかることなのですが、「論破しろ」なんて一言も書いていないのです……。それどころか「論破しないほうがいいですよ」とアドバイスしている内容になっていると思うのですね。

僕のことをある程度わかっている人や、本を読んでくれた人は、「論破できるスキルがあることと、実際に相手を論破してしまうことは、まったく別の話だよね」「論破できるスキルがあっても、それを使わないほうが頭いいよね」というのを理解してくれていると思います。

僕にとっての議論の目的は、当たり前ですけれど、相手を打ち負かそうとかいうことではありません。

僕の知識量なんてたかが知れていますから、「相手が自分の知らない情報をもっているんじゃないか」という期待があるので、相手に「それってどういうことなの?」「こういうこと?」という質問を繰り返しているだけのこと。

たとえば、話し合いをするなかで、僕とは違う考えをもっている人に対して「こういう理由から、それは違うんじゃないでしょうか?」と突っ込んで聞いた場合、相手が「いや、これはこうだからこうなるんだよ」と説明してくれたら、「あ、なるほど! そういうことなのね」というふうに、ただ納得して話が終わります。

次ページ結果として、論破しているように見えてしまう
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