出井伸之氏「子会社が下という考え方をやめよう」 どこの会社なら「自分が輝けるか」が重要だ
いろいろな部署を経験しておくことは、先々必ず役に立ちます。ただし、単にたくさんの部署を経験すればいいというものではなくて、起業家のような精神、視線で会社の中を見渡して、開拓できる分野、挑戦できる分野を見つけ出して、自ら手を挙げて新しい事業を提案する。つまり、“社内ベンチャー”のような動き方を僕は勧めたい。
実際に起業家目線で見渡せば、社内には新事業のタネがゴロゴロありませんか? いや、あるんです、僕の経験から言えば。すごい技術なのに使われずに埋もれているとか、ここにテコ入れすれば復活できるとか、このサービスをこうすればもっと市場が広がるとか、いくらでもあります。
社内で「越境」する
ソニー時代、自分のいる部署からほかの部署へ異動することを、僕は“越境”と呼んでいて、自ら望んで越境を繰り返しました。かつての部下が僕の経歴書を見て「時刻表みたいだ」と言ったことがあります。確かにそう言われれば、どこの部署から次はどこの部署と、社内の異動の連続でしたから、そう見えたのかもしれません。
僕は文系で初めて「オーディオ事業部長」、つまり、音響機器の開発・製造にかかわる事業部長になりました。これも越境した結果です。ヨーロッパから帰ってきて、1979年に、自分から手を挙げて事業部長になったのです。
ソニーのオーディオというと、「ウォークマン」を連想する人がいると思いますが、これは別の事業部の製品で、僕が事業部長になったオーディオ事業部は、ハイファイのアンプやスピーカーといった純粋なオーディオ製品を作っている部署です。
世間の関心がもっぱら、テレビやビデオといった映像機器に移っていた時代で、「オーディオ事業部に未来はない」と社内で公然とささやかれ、実際に赤字の部署でした。だけど、不況に見舞われている部署だからこそ、僕は自ら手を挙げたのです。
なぜ、オーディオをやろうと思ったかというと、「未来はない」といわれていたこの分野に、大きな変化が訪れる予感があったからです。デジタルの波です。アナログからデジタルになると、すべてが一新されると。だから、越境してオーディオ事業部にやってきたのです。
「これはチャンスだ」僕はそう思っていました。新しい技術を生み出せるタイミングで、それを直接手がけられることをとてもうれしく思いました。
僕は事業部長になってすぐに、オーディオにおけるコンピューターの重要さを学ぶため、アメリカに技術者3人を送って勉強させました。デジタルになると、アナログ時代に通用していた技術が通用しなくなります。だから、ある意味、文系の僕と技術者の人たちとが、横一線に並んでイチから学ぶことになります。社内の研究所から、異なるジャンルの技術者を引っ張ってきて一緒に勉強しました。オーディオ事業部の技術者も、デジタルはみんな素人なので、僕も意見を言いやすくなります(笑)。
オーディオ事業部長として運よく「CD(コンパクトディスク)」という新しいデジタル技術の製品を手がけました。ご存じのとおり、CDはあっという間にアナログレコードから置き換わり、大成功を収めました。
とはいえ、まったく新しいものを生み出すには、大変な苦難が伴います。本当にたくさんの人に助けてもらったおかげで、CDの開発にこぎ着けることができたと思います。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら