NY在住の禅僧が説く「心がスッと軽くなる方法」 「悩みが尽きない」のは人として当たり前の事だ

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現実的に解決できることから具体的な解決策を見いだせないことまで、あれこれ想像し、悶々として抜け出せないループに入り込んでしまう。これこそが心配ごとの本質です。

心配や不安とは、自分ではコントロールしようのないこと、しかもそれが将来本当に問題になるかもわからないことに対して、あなたの心が勝手に不安になってしまっている状態です。心配することや悩むことに時間を費やしたところで、現実は何も変わりません。ただただ苦しい時間が増えていくばかりです。

でも、心配したって大丈夫。不安に思うのは当然だからです。

仏教では、すべての物事には「原因」があって「結果」があるとしています。「原因」がさまざまな「縁」によって姿を変えて、「結果」につながります。あなたの抱えている心配ごとにも、必ず「原因」があります。そう、現実的に対処できる問題ではなく、「あなたの心模様しだい」なのです。

心配を生み出す環境を変えることは難しくても、心配という感情を手放すことは、ちょっとした思考のクセや生活の習慣を変えるだけで簡単にできます。

祖父の言葉「心を痛めず、心を配る」

私は禅僧でありながら、拠点はアメリカで、大学生を相手に宗教学者として日本仏教について教えています。「ブッダは架空の人物ですよね?」という外国人を相手に、いかにわかりやすい言葉で禅を伝えるかが日々のテーマです。また、グーグルが社員研修に取り入れたことでも話題となったマインドフルネスの活動にもたずさわり、それが縁でグーグルをはじめとする企業へ出向き、禅についての講義もしています。

若い学生の方々や、働く人びとが何に悩み、何を求めているのか。そんなことをつねに考えています。

そして、私の祖父は松原泰道という禅僧です。101歳で亡くなるまで100冊を超える著書を残し、禅をわかりやすい言葉で伝える伝道師でした。私は27歳でアメリカに渡るまで、東京の龍源寺で祖父と生活をともにして、たくさんの話を聞きました。

祖父がいつも話していた言葉です。

「みんなが心配といっているのは、心を痛める心痛である。本来、心配とは他者を気にかけて心を配ること。心痛ではなく、たくさん心配をするといい」

ここに私流の解釈を付け加えるとすれば、

「もっと、自分にも心を配っていい」

「もっと、自分を大切にしていい」

心配という負の感情を手放すにはさまざまなアプローチの仕方があります。たとえ話を1つ、ご紹介しましょう。

心配、不安、焦り、悲しみ、嫉妬、怒り。湧き上がってきた感情に振り回されたり飲み込まれたりしそうなときは、これからお伝えするコップの話を思い出してください。

透明なコップに水と土を入れ、箸でグルグルとかき混ぜた様子をイメージしてみましょう。かき混ぜた途端にコップの中の透明度は失われ、コップを目の高さまで持ち上げ、どの角度からのぞき込んでみても、中に何が入っていたか判別が難しくなります。

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