ミイラの盗掘がかつて盛んだった仰天すぎる背景 「不老不死の秘薬」と信じられた結果のバブル
「ミイラが薬になる」という話はヨーロッパだけでなく、シルクロードを通って中国に達し、やがて日本にも入ってくることになりました。
それは江戸時代中期以降のこと。
当時は鎖国の時代ではありましたが、特定の地域では海外との貿易を行っていました。こうした背景があり、西洋医学も盛んになっていくのですが、伝統的な漢方と融合し、日本では独自の医学の発展を遂げます。その過程で海外から入ってきたさまざまな薬の中の一つが、ミイラだったのです。
当時の本草学者・貝原益軒が記した『大和本草』という書物には、さまざまな植物や鉱物などの効能がまとめられており、その中の一つとして木乃伊(ミイラ)についても記されています。その効能も万能薬のようなもので、塗れば骨折や打撲に効き、服用すれば貧血、頭痛、胸焼けなどに効く。さらには虫歯や虫刺されまで、ありとあらゆるものに使えたとされました。
実はミイラには腐敗を防ぐために防腐剤が塗られており、その主成分はプロポリスでした。プロポリスは天然の抗生物質とも呼ばれるほど抗菌作用も強く、滋養強壮にも効果があります。先に紹介したヨーロッパの例とは異なり、日本では迷信としてではなく、実際に効果があったためにミイラを輸入して服用していたのです。
飽くなき欲が生んだミイラの用途
ここまでは薬としてのミイラの需要をお伝えしました。その人気はそれだけにはとどまらず、19世紀頃にはロンドンを中心に「ミイラの解体ショー」も盛んに行われました。これはエジプトから棺ごと輸入されたミイラの包帯を剝がしていくのを見て楽しむというものですが、死者の冒瀆(ぼうとく)といえる行為です。
また、ミイラをすりつぶして粉にしたものは、薬だけでなく芸術にも用いられることに。これは16世紀以降に作られた「マミーブラウン」と呼ばれる顔料です。絵の具がチューブに入って販売されるようになった19世紀半ば以降には、工場で大量に作られ流通するようになり、その手軽さから人気を博したといいます。
ミイラはこうした死者の尊厳を誰も考えなかった時代を経て、19世紀後半から20世紀初めに重要な考古学的発見がなされたことで、ようやく考古学的価値が見出だされていくことになりました。
ミイラは確実に「人間の遺体」であり、古代の貴重な情報の宝庫でもあります。本来であれば最初から気づくべきことではありますが、その考えよりも目先の利益に目が眩む「生きている人間」の恐ろしさを感じてしまう話ではないでしょうか?
(※記事で紹介している史実については著者が調べたものですが、諸説あるケースもあります)
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