「大箱の超高層都市は終わり、自然との一体型へ変わる」 建築家 隈研吾

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コロナ後は「一人ひとりが、変革を迫られる」と隈氏は述べた( Photo ©️ J.C.Carbonne)

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コロナ後に日本のオフィスや住宅はどのように変わるのか。建築界の第一人者、隈研吾氏に聞いた。
注)本記事は週刊東洋経済7月4日号「激震!不動産」特集のインタビュー(P78~79ページ)の拡大版です。

──コロナ禍は、建築にどのような影響を及ぼしますか。

まず、都市の定義が変わる。

われわれがいま都市と思っているものは、20世紀に米国が定義した都市だ。オフィスや工場といった「大きな箱」を作って、そこに人を集めて効率的に働かせている。

都市へ郊外から人を送り迎えするのも電車や自動車という「鉄の箱」だ。朝や夕方など定時に送り迎えしている。しかし、これは20世紀の米国が定義した都市のスタイルで、たかだか100年ぐらいの歴史しかない。人類の長い歴史からみれば極めて特殊な形態だ。

20世紀になるまで人間は家で働いていた。欧州では雇い主の家で働く形が一般的だった。それが20世紀に入るころ米国で、大きな箱で働く今のような都市型のスタイルに変わってきた。

──日本の都市も同様ですか?

日本が米国のような「大箱都市」になってきたのは第二次世界大戦が終わってからだ。数十年しか経っていない。それまでは日本も欧州のように雇い主の家で働くのが普通だった。大阪の商家や京都の町家のように。

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