ディーラーとして再出発 ヤナセの苦闘と原点回帰
事実、当時ヤナセに勤めていた営業担当者は「本社の経理担当者から、顧客からの入金を今すぐ送金してくれと何度もせっつかれた。まるで資金繰りに窮した個人商店のようだった」と当時を振り返る。
伊藤忠商事の支援で債務超過を解消
01年の井上隆裕社長就任以後、輸入業からディーラー業への転換という一大構造改革が始まった。
ここでヤナセが重点を置いたのが、新車販売、中古車販売、車検や点検などのアフターサービス強化により、顧客を囲い込むことだった。
特に強化したのがアフターサービス部門。「大きく変わったのが整備士のポジション。彼らに光が当たるようになった」(北河原眞・ヤナセ東京支店長)。地道な裏方部門が、今では営業利益の過半を稼ぎ出す。
また00年に独アウディ、03年にBMW、05年にVWと、いったん輸入権を手放したブランドも含めて、ディーラーとして販売契約を結んだ。さらに中古車販売を強化し、現在は中古車だけで2万台以上を売り上げるまでになっている。
一方で40以上のノンコア事業から撤退した。ピーク時には8000人いた従業員も5000人程度まで減らした。01年9月期には債務超過に陥ったが、03年に伊藤忠商事や日本土地建物を中心に第3者割当増資を実施して債務超過を解消。現在、ヤナセの筆頭株主は伊藤忠商事だ。
07年には営業部門出身の西山俊太郎氏が社長に就任。しかしアメリカの住宅バブル崩壊、08年後半からの金融危機が自動車販売市場を直撃。さらなるスリム化に追われたが、前期の業績底打ちを受け、「守るものはヤナセの黄色いステッカー」とブランド強化に乗り出している。