「日中米ロ4大国の狭間に置かれた朝鮮半島」。韓国や北朝鮮をめぐる国際関係を語るうえでよく使われる表現である。このような朝鮮半島固有の地政学的状況は、その歴史にも長い影を落としている。強調されるのは中国と日本の間に置かれた悲哀であり、両者から繰り返し侵略を受けた歴史である。
しかし、朝鮮半島の長い歴史では、中国と日本の影響はその重要性のレベルが異なる。とりわけ前近代において、中国の影響は政治面だけでなく文化面でも莫大だったが、日本からの影響は限定的だった。両者の重要性を分けたのも、地政学的位置だった。海を隔てた日本からの影響は限定されていたからである。
朝鮮半島にとって中国がどれだけ厄介だったかは、地図を見るだけでもわかる。韓国の首都ソウルから北京までは、直線距離にして約1000km。その距離は、東京と福岡間程度でしかない。しかも陸続きだ。
小国ゆえの悲哀とアイデンティティ
だからこそ、朝鮮半島の歴史は中国に揺さぶられた。新羅の朝鮮半島統一(676年)は、隋・唐の中国再統一と時期を同じくし、高麗への王朝交代(936年)の背景にも唐崩壊に伴う東アジアの混乱があった。中国の影響は、その首都が北京に移された後、より顕著になった。モンゴルとの戦いに敗れた高麗は、元の衰退とともに、勃興する明との間での選択を迫られ混乱し、主流派の意に反し、明を選択する反乱(1388年、威化島回軍)を起こした李成桂(太祖)が朝鮮王朝を建国する(1392年)。
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