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欧州の一員として生き残るしかない 英国 大陸との微妙な距離感

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 世界史と現代を結ぶ視点

19世紀半ばのロンドン港。海外との貿易でにぎわった(Heritage Images)

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私にとって初めてのイギリス暮らしが半年ほど過ぎたとき、「一九七二年秋・ロンドン」と題するロンドン便りを国内の研究誌に投稿した。失業とストライキと社会不満の充満した「イギリス病」の時代である。ロンドンの公園を散歩していると、乳母車を押してきた若い母親にすれ違いざま、「おカネちょうだい!」と言われたことすらあった。

不景気にもかかわらずロンドンには移民があふれ、日本で教わった資本主義と産業革命の故郷、アングロサクソン系白人でピューリタンのイギリスは、そこにはなかった。

アイルランド紛争も猖獗(しょうけつ)を極め、ロンドンでも連日デモが繰り返されていた。他方で、極右の政治家E・パウエルによる反移民のアジ演説が新聞をにぎわせていた。イギリスの混乱と衰退感は、歴史家としての私の感性にいたく響いた。

翌73年元日、イギリスはEC(欧州共同体)に加盟した。むろん、今日の「離脱派」につながるヨーロッパ懐疑派も多かったが、ド・ゴールにしばしば阻止された加盟が実現したことは大きな成果であった。

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