建国以来、米国はつねに聖と俗の両面を兼ね備えた矛盾に満ちた国である。それゆえ、どちらか一方の面だけでとらえようとすると無理が生じる。
「すべての人間は平等につくられている」ことを「自明の事実」とするとうたい上げたのは米独立宣言(1776年)だが、先住民の虐殺や強制移住、黒人奴隷やマイノリティへの差別など、その理念に背く史実を列挙することは容易だ。
「自由」「民主主義」「人権」といった理念を掲げつつ、自国の地政学的な利益のためとあれば、権威主義体制や反政府勢力への秘密裏の財政援助や武器供与、政治工作などもいとわない。1973年、チリのサルバドール・アジェンデ大統領率いる社会主義政権が米国の支援を受けた軍部によって転覆され、アジェンデが暗殺されたのはその一例だ。
こうした矛盾や二重基準が反米主義に一定の正当性を与える一方、人々を感心させる現実もあまた存在する。たとえば、米国は、専制君主や世襲貴族ではなく、市民(デモス)が主体となって大国を統治するという、人類史における実験国家であるが、その精神は今も息づいている。
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