イギリスは、なぜ世界で最初の工業国となったのか。中国やインドはなぜ経済発展しないのか。
この問いに対し、戦後日本の歴史学はドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864〜1920)の議論から答えを出そうとした。
イギリスが世界の先頭を切って発展したのは、カルヴァン派プロテスタントの一派であるピューリタンが、禁欲、勤勉、合理主義などの実践倫理を順守したからだ、というものであった。
ではなぜアジアが発展しないのか。それは儒教や仏教のような非合理的な宗教が根付いて、発展が阻害されたからだ、というものだった。
しかし、この説明はどこかおかしい。勤勉にひたすら生産に励む人たちがいたとして、その製品を誰かが買わなければ、生産活動は持続も拡大もできない。戦後のモノ不足の時代には、生産サイドに立ったこの学説は自然に見えたかもしれないが、「売れないモノはつくり続けられない」という、当たり前の経済原則が抜け落ちている。
経済成長は生産の変化(拡大)とともに、需要の拡大がなければ継続できない。需要の分析には、貿易や国内の都市化、自給されていたモノやサービス──たとえば穀物や野菜、子供の衣服、さらには育児そのものなど──が次々と商品化されていく過程など、狭義の経済史を超えた、人々の生活史を知ることが不可欠である。
日本においてウェーバーの学説はかつて熱狂的に受け入れられたが、キリスト教国でもない日本が高度成長を経験すると維持できなくなった。
そこで求められたのが、西洋と日本にだけ認められる経済発展の歴史的原因である。たとえばアメリカの駐日大使であったライシャワーは、日本と西洋でだけ封建制の伝統から近代的な契約概念が成立したと指摘し、それが経済発展の前提条件になったと説明した。
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