AT&Tはネットワークの性能向上に巨額の資金を投入せざるをえなくなり、泥沼状態に陥った。つまりケーブルを軸としたアームストロングの戦略は敗北したわけだ。これはM&Aの典型的な失敗例とされる。
ところで、こうしたコメントはいまだからこそ言えることである。当時から予測できたかと言えばそうではなかった。さまざまな戦略が試みられ、その中で成功したものが生き残っただけである。それが市場メカニズムなのだ。
したがって、大きな変化が起きたときには、市場経済を中心にした経済が成功する確率が大きい。しばしば「政府が成長戦略を立案し、経済をリードすべきだ」と言われる。しかし、未来を予測して経済をリードする能力は政府にはない。日本の高度成長期に政府のビジョンが有効であるように見えたのは、日本が後発工業国であって先進工業国のモデルがあったからだ。
また、いま振り返れば、70年代までのIBMとAT&Tの覇権には、独占の利益も大きかった。どちらも裁判で争われたのだが、両社の独占体制を崩した基本的な要因はITという新しい技術体系の出現だ。
司法省による独占禁止訴訟がなかったとしても、またマイクロソフトやインテルの支配を許したIBMの戦略上の失敗がなかったとしても、両社が70年代までの独占体制を情報通信産業で継続するのは不可能だったに違いな
い。
ITの本質は、計算や通信に要するコストを劇的に下げたことである。そのために巨大企業による市場独占が不可能になったのだ。それが経済活動にもたらしたものは、市場における競争の激化である。
AT&T失敗の基本は、長距離通信において独占の利益を継続しようとしたことであり、技術が激変するインターネットにおいて、CATVという特定の技術で通信を独占しようとしたことである。その意味において「競争」ということの本質を理解できなかったことだ。日本企業が対応できなかった基本的理由も、そこにある。
早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授■1940年東京生まれ。63年東京大学工学部卒業、64年大蔵省(現財務省)入省。72年米イェール大学経済学博士号取得。一橋大学教授、東京大学教授、スタンフォード大学客員教授などを経て、2005年4月より現職。専攻はファイナンス理論、日本経済論。著書は『金融危機の本質は何か』、『「超」整理法』、『1940体制』など多数。(写真:尾形文繁)
(週刊東洋経済2010年12月18日号)
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