千田:当時、NHKラジオで英語ニュースが午後6時55分から7時までの5分間放送されていたのですが、これをオープンリールのテープレコーダーに録音して、朝までディクテーションしました。テープレコーダーがまだとても高価な時代でね、周囲に持っている人はほとんどいなかったのですが、何とか父に頼み込んで買ってもらいました。
これを集中的にやりました。書き取れなかったところは大学のネイティブの先生のところに持って行って、何て言っていたのかを教えてもらうようにしていました。これを半年間続けたら、英検の1級が取れたのです。
安河内:高3で英検3級に落ちたのに、大学2年になったばかりで、英検1級に受かったんですね!
千田:そうです。大学で「音の世界」と「スピードの世界」に入っていけたのが大きかったですね。当時の英語学習にはほとんど取り入れられていなかった方法に出合ったおかげで、劇的に英語力がついていきました。
安河内:スピーキングの力はどうやってアップさせたのですか?
千田:音読を続けていったら、ある日、突然、英語が口から出てきたのです。“カチッ”とスイッチが入ったような感じでした。音読の積み重ねが臨界点に達したからだと思います。「音読した英語は聞ける→聞けるから自分も言いたくなる→言いたい表現を学ぶ→学ぶから口から出てくる」という好循環に入ったのだと思います。
内定していた商社への就職を断念。運命の出会いが!?
安河内:英検1級も持っていて、英語の実力もあるとなれば、就職活動も有利だったのではないですか?
千田:すぐに商社に決まりました。
安河内:やっぱり。商社ではすぐに仕事で英語を使いましたか?
千田:そうなるだろうと思っていたら、卒業の2カ月前に父ががんで死んでしまったので、東京に出てくることができなくなりました。商社には就職せずに、八戸に戻ったのです。僕は5人男兄弟の長男ですから、弟たちの面倒を見なければなりませんでした。
まずは戻って、1年で父の会社を整理しました。父親はいないし、仕事もないし、もう呆然でした。弟4人のこともあるし、どうしようと途方にも暮れましたね。そんなある日、新聞の求人広告欄にタイムライフの求人を見つけたのです。すぐに「これだ!」と思いました。
安河内:アメリカのニュース雑誌「TIME」を出していた?
千田:そう、あと写真誌の「LIFE」も出していました。その子会社のタイムライフ教育システムという会社です。大学のときは、「Newsweek」を読んでいましたが、「TIME」はもっと格調高い雑誌というふうに聞いていました。早速、応募したら採用になりましてね。
その会社でTOEICテストを後に作ることになる北岡靖男さんに出会ったのです。同社には4年半勤めました。日本人の営業グループとアメリカ人の英語教師の間のコーディネーター役として、企業の英語研修を担当しました。実際に仕事で英語を使うよい経験になりました。
安河内:北岡さんとの出会いはどんなものだったのですか?
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