TOEIC400点でインド流ビジネスに挑んだ男 全日空・杉野健治/五感をフルに使って相手の懐に飛び込め

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 「クールジャパン」がポップカルチャーのみならず、ビジネス面でも世界に広がりつつある。ただし、世界で日本企業が躍動するためには、質の高い製品やサービスだけでなく、“クールなジャパニーズ”が必要だ。本連載では、世界を舞台にして日本の製品やサービスを売り込む、クールな日本人ビジネスパーソンの仕事と人生に迫る。


成都、サンノゼ、バンクーバーなど世界を飛び回っている全日空の杉野健治さんは、41歳で初の海外、インドのムンバイに赴任した。6年半の駐在で、成田-ムンバイ線、成田-デリー線を立ち上げ、軌道に乗せた。全日空がインド版アニメ「巨人の星」のスポンサーになることを社長に直談判した人物でもある。海外で闘うには何が必要なのか、その術をどうやって身に付けたのかを語ってもらった。

最初の2年間はぐちゃぐちゃ

インドに赴任した杉野さんのミッションは、全日空が一度撤退したインド路線を復活させ、拡大することだった。ムンバイに事務所を開設するところから始めたが、インドでは何事もルールどおりには進まない。

ムンバイ線初便が、ムンバイ空港に到着した日

たとえば、就航の許可はインドの国土交通大臣、事務所開設の許可は経済産業省大臣が出す。大臣のOKをもらうには、州レベルの部長、課長の許可が必要だ。ところが書類をそろえて持って行っても、「知らない、わからない」の一点張り。袖の下が当たり前の世界なのだ。日本の常識はまったく通じなかった。

「最初の2年間はぐちゃぐちゃでした。インドに行って半年後の2007年9月1日にムンバイ線が就航しましたが、いろいろな許可がなかなか下りないし、人が雇えていなくて私の部下はゼロ。日本からの応援者で何とかやっていましたが、すべてが遅れて思いどおりに進まないから、みんな疲れちゃうんですね。オレも帰りたいけど、何とかなるから頑張ろうと励ましていました」

さらにインド駐在者には、遅々として進まない現地の事情を、日本側に説明しなくてはならない苦労もある。「なぜできないんだ」と言われても、こちらが聞きたい状況なのだ。

壁にぶつかったとき、杉野さんは、かつて先輩に教えられた「意志のあるところに道は開ける」という言葉を思い出していたという。そして6年半のインド駐在で悟ったのが、4つの「あ」だった。「あわてるな、あせるな、あきらめるな、そして最後はありがとう!」。絶対にやり遂げられると信じて仕事に向かっていた。

交渉にしても顧客獲得にしても、現地の人の心をつかむには、相手の懐に飛び込むことだと杉野さんは言う。「日本と同じやり方で、一方的にANAについての説明をしても聞いてもらえません。相手の目線で伝えるには、現地の文化、生活、宗教を知ることが大事です」。 すると、どう伝えればいいかが見えてくるし、相手も信用して話を聞いてくれるようになる。

では、どうやって文化を学べばいいのか。杉野さんはインド人に教わった。五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)をフル活用して、衣食住を共にするのだ。

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