いや、それは悲しむべきことだろう、てなツッコミは無粋の極みであった。日本人には今ひとつピンと来ていなかったのだが、冷戦というのはそれくらい大変な総力戦であり、それが終わったのはめでたいことであったのだ。おそらく同じ日に、KGB局員であった若き日のウラジーミル・プーチン氏は、さぞかし悔しい思いをしていたことと拝察するが。
今から思えば、1991年の出来事は一種の奇跡だったのだろう。古来、大帝国が瓦解する過程には、例外なく相当規模の暴力が付随発生するものだ。平和的な領土の縮小ということは、滅多にあるものではない。
そして30年後の今日になって、突如、思い出したかのようにロシアはウクライナに攻め込んでいる。確かにウクライナが分離したことで、ソ連はとどめを刺された。だからといって、ウクライナを取り戻したところでロシアが昔日の栄光を取り戻せる保証はどこにもない。だったら何のための戦争なのか。
歴史を紐解くと、ロシアとウクライナの間には「DV(家庭内暴力)兄弟」みたいな業の深さがあり、よその家の者としてはほとんど直視しがたい。兄はしょっちゅう弟をいじめているけれども、ときおり小遣いをくれたりする変な相互依存関係である。
ところが、ある日とうとう弟が欧州に対してNATO(北大西洋条約機構)に入れてくれ、と言い出した。すると「お前まで西側の人間になってしまうのか!」と兄が逆切れしてしまった。よそ者としては、「そこまで追い詰めたのはアンタだろう」と言いたくなるところだが。この問題、安全保障論で捉えるよりも、一種の家庭内悲劇と考えるほうが、よっぽど現状を説明できるのではないかという気がしている。
NATOを過小評価したプーチン大統領
とはいえ、そんな呑気なことも言っていられない。武力を使った現状変更がこんなに簡単に行われるのでは、国際秩序も法の支配も吹っ飛んでしまう。それも核大国であり、国連の常任理事国であるロシアが当事者なのである。下手に手出しをすれば、核戦争につながりかねない。だからと言って傍観していると、ウクライナが陥落してそこには傀儡政権が誕生し、次は東欧から北欧、そして西欧へと類が及びかねない。
西側諸国は一致して、対ロシア経済制裁に動き出した。前回の「ロシアへの「究極の制裁」で西側が浴びる『返り血』」で指摘した通り 、古来、経済制裁が効いたという事例は少ない。本来であれば、経済制裁は「脅し」に使うことが望ましい。ジョー・バイデン大統領は、そのことを何度もプーチン大統領に伝えてきた。ところがロシア側は逆に、「西側は武力を使うガッツがない」と受け取ったようだ。
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