必ずしも「独学で難関試験突破は無理」ではない訳 「人間の意志は弱い」に向き合うのが成功のカギ

ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

私は2004年に大学を卒業し、新聞記者になりました。仕事はそれなりに楽しかったものの、拘束時間が長かったことや、業務と自分のモラルがぶつかるケースがあったことが原因で、2007年に会社を辞めました。

新しい仕事を探すことにしたのですが、とくに何のプランもありませんでした。なぜ公認会計士試験の勉強を始めたのかもよく覚えていません。在職中に「辞めた人は弁護士や公認会計士になるパターンが多いらしい」と聞いていたことがきっかけだったような気がします。

難しい資格を取れば食いっぱぐれない

難しい資格を取れば食いっぱぐれることはないだろう、くらいの考えでした。専門学校のパンフレットを適当に取り寄せ、弁護士は向いてなさそうだから公認会計士にする、その程度の考えで勉強をはじめたように記憶しています。

公認会計士がどのような仕事なのか、資格を取得できればどのように人生が変わるかなど、具体的なビジョンはまるでありませんでした。専門学校の勉強は授業や課題が多く、さぼると内容がわからなくなり、ついていくのが難しくなります。そのため、高い学費を払いながらも、試験までに脱落する人がけっこうな割合でいます。

当時の私は毎日の授業に出るのが日に日につらくなり、3カ月過ぎたころには学校に行けなくなりました。あとには大量の開いていない教科書だけが残りました。

それから6年が過ぎ、私は上場企業の経理部で働いていました。主な仕事は四半期ごとに決算を行い、発表資料を作成することです。資料には、損益計算書や貸借対照表などの財務諸表が含まれます。実務上、それらの資料は発表前に監査法人のチェックを受けることになっています。

監査法人とは公認会計士で構成する法人です。財務諸表を監査することが主な業務になります。日常的に公認会計士の対応をすることが多くなり、雑談をする時間もあったため、彼らの業務内容や給与水準、キャリアパスなどを自然に理解するようになりました。

資格を得ると、年収1000万円を得るのは簡単で、独立や転職も思うままにできそうな印象です。挫折した当時と比べ、公認会計士はとても魅力的に見えました。特に「独立」という言葉が心に刺さりました。

いったん私の経歴を、当時の思い出とともに整理します。

新聞社を辞めて最初は化学メーカーに就職し、1年半で海運会社に転職しました。2013年は海運会社に入社して4年が過ぎていました。どちらの会社でも上司との相性が合わず、とても苦労しました。

最初の化学メーカーの会社では、所属部署の課長は勤続40年のたたき上げでした。とても真面目で知識はあったものの、部下を徹底的に管理したいタイプの人でした。毎日のように細かい指導と突然のチェックが入り、心の休まる暇がありません。仕事は楽しく環境も良かったものの、次第に仕事に向かうのが憂鬱になり、気づけば転職サイトに登録していました。

次の海運会社に採用され、出社した最初の日はよく覚えています。

次ページ出社した最初の日のできごと
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事