繰り返すが、松村さん自身は奨学金を借りたことを後悔しているわけでもなく、前向きに捉えている。
「職場はいい人ばかりですし、仕事柄、いろんな人たちと話すから、同年代の人たちより苦しい経験も含め、いろんなことを経験できます。そして、それをお金で買えたかというと、たぶん買えなかった。奨学金を借りて、看護師になれたからこそ、今があるのかなと思っています」
陳腐な表現にはなるが、「若い時の苦労は買ってでもせよ」ということらしい。
重要なのは「糧にしていく」ことではないか
実際、人生において何が「いい決断」なのかは、そのときにはわからないものだし、われわれには「過去にした決断を、いい決断にしていく」ことしかできない。松村さんだけでなく、本連載で話を聞いた人たちの多くが、奨学金返済を人生の糧にしていることが、その証明だろう(もちろん、制度全体を全肯定する意味合いではない)。
ただ、家庭の事情は人それぞれだ。奨学金を借りるのが家庭の都合であれば、奨学金を借りないのもまた、家庭の都合だろう。
奨学金を借りていない人は助言のつもりで「早く返したほうがいいよ」と言うかもしれないが、言われた側が「代わりに払うわけでもないのに、口を出さないでほしい」と思う可能性もあることは、頭に入れておいたほうがいいだろう。
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