明代さんにも新しい恋人はいた。やはり同業の男性だ。でも、彼は職場がある大阪か故郷の九州で住むことを希望。明代さんとは3年間ほど遠距離恋愛をしたが、結婚には踏み切れずに別れてしまう。一方の明代さんは地元でも交友関係を広げる努力をしていた。
孝雄さんとの出会い
「同級生のほとんどは都会に出て行っていました。友人が少ないので、地元の誰かとつながりたいと思ってツイッターで地名を入れて検索したら、一番に出て来たのが夫でした」
自由人の孝雄さんは複数の仕事を掛け持ちしながらボランティア活動にも精を出していた。情報発信力も高くて目立つ存在なのだ。彼が取り仕切る活動にときどき参加した明代さんは視野が広がるような気分になったようだ。
「それまでは仕事しかしたことがなかったので、ボランティア活動自体がまず新鮮でした。私はこの道だと決めたら死ぬまでその仕事をやるべきだと思ってきたのですが、夫はまったくそうではありません(笑)。私の概念にはない人生を歩んでいます。今までは心優しくて優柔不断な男性と付き合って来ました。逆に、夫ははっきりと自分を持っていて、リードもしてくれる人です。それがいい部分であり悪い部分でもあるんですけど(笑)」
思いついたことは何でもやりたい性格の孝雄さん。一方では、自分の家庭が欲しくて子育てに「親父」として深く関わりたいという気持ちが強いと自認している。
「最初の結婚相手はそれが不満だったようです。当時の妻だった彼女の不倫が発覚してからもしばらくは一緒にいたのですが、『もっと男らしくいてほしかった。結婚したら家庭的になってしまってつまらなかった』と言われました」
若い頃の教員時代が「自分史上、最高年収」だったと笑う孝雄さん。器用でお人好しだが、何か一つのことに打ち込んでキャリアと財産を形成することは苦手なのだろう。今は子育てが一番で仕事が二番だと言い切る。
「明代との家事分担の決まりは特にありませんが、子どもたちを風呂に入れたり寝かしつけたりするのも含めて僕は何でもできます。主夫になってもいいぐらいです。でも、料理はおふくろの味を食べさせたほうがいいと思うので、夕食は明代が仕事から帰って来てから作っています」
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