人口1万「ジリ貧の町」に36歳芸人が移住した理由 ようやく見えてきた「住みます芸人」成功のカギ
「邑南町住みます芸人」となった奥村は、顔と名前を覚えてもらうため、町内を精力的に回った。そんな奥村に、新商品の共同開発を打診したのが、前出の「垣崎醤油店」だったのだ。
こうして完成した「おおなんの宝」は、地元メディアにも大々的に取り上げられ、今年1月末の時点で約19000個を売り上げた。一方の奥村はその後、地元生産者とともに「おおなん塾」を開催。さらなる邑南町産の新商品の開発に取り組んでいるという。
大事なのは「物差し」の違いを受け入れること
一昨年から約2年にわたって、各地の「住みます芸人」を訪ね歩いているうちに、このプロジェクトの、いわゆる「成功例」には、それぞれの地域で活動する、芸人自身のポテンシャルの高さや、住みます社員(エリア社員)の営業努力もさることながら、“受け入れる側”の態勢や、キーパーソンの存在が大きく影響していることが見えてきた。
例えば、この連載の第2回で取り上げた、愛知県犬山市の「お笑い人力車」における、犬山市観光協会の後藤真司などは、その最たるものだろう。そして今回の邑南町では、間違いなく寺本の存在が大きい。
その寺本によると、「住みます芸人」と「移住者」の受け入れには相通じるものがあるという。
「芸人さんやタレントさんはある意味、『普通の人』と違う。だからこそ、面白く、魅力的なわけですから。それを、地元の“物差し”で測ろうとするとハレーションが起きる。まずは、自分たちの“物差し”と、芸人さんや吉本興業の“物差し”の違いを理解することから始めなければいけない。双方に接している僕たちの役割は、それぞれに“物差し”の違う町の人と芸人さんとの“通訳”だと思っています。
移住者の受け入れも同じだと思います。都会から地方に来て、そこに住み、仕事をしようと思っている人たちと、地元の人たちの“物差し”は違う。その違いを互いに理解することから始めないと、うまくいかないと思うんです」
今後は、どこの「過疎化の進むジリ貧の町」が、そして、そこに間違いなくいるはずのキーパーソンが、住みます芸人をどう受け入れ、かつ、それを“活かす”ことができるのか。楽しみだ。
(文中敬称略)
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