韓国大統領選で候補者の夫人が注目される理由 選挙戦からスキャンダルの暴露合戦がなぜ続く?

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ここで韓国における歴代大統領夫人の影響力、存在感について紹介しておく。

まず初代の李承晩(イ・スンマン)大統領(大統領在職1948~60年)の夫人は、フランチェスカというオーストリア出身のアメリカ人女性だった。李氏がアメリカ亡命時代に知り合ったというが、韓国で大統領夫人が「ファーストレディ」と呼ばれるのは、ここから始まったのかもしれない。

夫人の存在感で印象的だったのは、軍人出身だった全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領(同1980~88年)の場合だ。李順子(イ・スンジャ)夫人は韓国の名門・梨花女子大出身ながら、若いころは美容院までやって家計を支えた。大統領夫人になった後は、政権の人事に影響を与えるほど力があったといわれた。

夫を自殺に追い込んだ夫人も

革新系の盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領(同2003~08年)の場合、権良淑(クォン・ヤンスク)夫人は内助の功とは別の意味で夫に大きな影響を与えた。彼女が出入りの政商から巨額の外貨を受け取っていたという疑惑が原因で、夫は退任後、自殺に追い込まれている。いわば夫人が夫を死なせる結果になったというわけだ。

朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(同1963~79年)の陸英修(ユク・ヨンス)夫人は、歴代大統領夫人の中で最も人気があった。彼女は1974年に在日韓国人青年による「大統領狙撃事件」の際、流弾を受けて死亡したが、その死は長期政権だった夫・朴正煕の政権運営を不安定にしたといわれる。夫人の死が結果的に1979年の側近による朴大統領暗殺事件を誘発し、政変につながったというわけだ。

大統領夫人の影響力ではとっておきの秘話がある。盧泰愚(ノ・テウ)大統領(同1988~93年)の後継者として、金泳三(キム・ヨンサム)氏が決まった時のことだ。盧泰愚の高校同期生で最側近だった金潤煥(キム・ユンファン)氏から筆者が直接聞いた話である。

盧泰愚政権の末期、次期をどうするかが政局の焦点になった。当時、与野3党合併で野党出身の金泳三氏が次を狙っていた。この時のライバルは最大野党の金大中(キム・デジュン)氏だった。与党内部で誰を候補にするかとなった際、キングメーカー役の金潤煥氏は金大中氏に勝てるのは金泳三氏しかないと判断し、盧大統領の説得にあたった。

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