渋沢栄一の大成功は「良い独りよがり」の賜物だ 歩みを止めなければ答えは自然と導き出される
龍馬が目指したのは、幕府でも薩長でもなく、第3の道を行くこと。のちの明治政府が国の目指す方向として示した「五箇条の御誓文」の“広く会議をおこし、万機公論に決すべし(人々の声を大事にし、優れた意見を取り入れて政治を行うこと)”が表すように、その他大勢の声なき声をどう代弁するか、それが彼の考える第3の道だったのです。
幕末のように大きな転換期にこそ、ひるんで歩みを止めるのではなく、最先端の知識を貪欲に学び、自分のものとする。その気概と知識の蓄積がさまざまな人を刺激し、自分が成し遂げられずとも人を動かす力になることを、龍馬が教えてくれているのかもしれません」
自分が信じるものへ向かっていった渋沢栄一
歩みを止めなければ、答えは導き出されるもの
「第一国立銀行など500もの企業を設立・経営し、“日本資本主義の父”とも称されたのが渋沢栄一です。でも彼は若い頃に、攘夷蜂起のために高崎城を乗っ取り、横浜の外国人を皆殺しにする計画を練った過激な一面もありました。
そんな彼が、最後の将軍となる一橋慶喜の家臣となり、フランスで見識を深め、帰国後は財界を率いることになります。ある意味、この転向はすごいですよね(笑)。
その理由の1つが、いい意味で彼が独りよがりだったこと。自分の能力があれば、時の将軍の気持ちさえも変えられる、と強く思い込んでいたのでしょう。独善的だったからこそ、自分が信じるものへ向かっていける。だから180度異なる考えにも転向できたのだと思います。
彼のその力を育てたのは幼少期の学び方、捗遣り(はかやり)主義にあると思います。当時の勉強は『論語』などを暗唱するのが一般的でしたが、栄一の先生(栄一の従兄・尾高惇忠)は『南総里見八犬伝』や『三国志』『水滸伝』など、子どもが読みたがるものや楽しいと思うものを積極的に読ませていました。
子どもですから、途中でわからない単語が出てきます。しかしそこで止まらず、例えばXやYといったん置き換えておき、そのまま読み進める。好きな本ですからどんどんと読んでいくうちに、次第にその言葉の意味がわかってくるものです。数学でいう代入のような考え方ですね。わからないことはいったん保留しておいて、周辺の情報を集めていくことで答えを導き出していく。それが、捗遣り主義です」