日本酒に惚れ「酒蔵作った」フランス人男性の半生 最初は「冗談のような」アイデアだったという
最初は「冗談のような」アイデアだった――。
フランス南東部の町、ペリュサン。ヨーロッパアルプスを遠くに臨み、中世に建てられた石造の城がシンボルとなっている、人口わずか3000人ほどのこの町の中心部に、2016年、一風変わった建物がオープンした。入り口のそばの木札に黒々と揮毫(きごう)されたその名は「昇涙酒造」。そう、ワインの国であるフランスに初めて作られた日本酒の酒蔵である。
フランス語で「Les Larmes du Levant」と呼ばれるこの酒蔵だが、創立以来国営ラジオ局France BleuやLe Figaro紙など現地メディアに取り上げられ、日本料理好きのフランス人のみならずミシュランの星付きレストランのシェフやソムリエの間でちょっとした話題になっている。
アルコール飲料の中でメジャーとは言えない
だがそもそもフランスでは、日本酒はアジア系のレストランで提供される質のよくない輸入物の白酒(※穀物から作る中国発祥の蒸留酒)とずっと混同されてきた。現在もその誤解はまだ完全になくなったわけではなく、依然として日本酒はアルコール飲料の中でメジャーだとは言いがたい。
ではなぜ現地ではワインの生産のイメージが強いペリュサンで、日本酒の生産が始まったのだろうか。昇涙酒造の創立者かつ代表であるグレゴワール・ブッフ氏によれば、「すべては日本的な縁によって生まれた」と言う。
ペリュサンから北西に150kmのところにある観光地で有名なアヌシー出身のブッフ氏は、2013年までバーマンとして日本酒どころか日本とさえ無縁の生活を送っていた。だが2013年にたまたま家族で日本を10日ほど訪れた際、銀座の居酒屋で日本酒を口にしたのが彼のその後の人生を大きく変えることになる。
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