日本酒に惚れ「酒蔵作った」フランス人男性の半生 最初は「冗談のような」アイデアだったという
「当時は本当にたいした知識はなくて、日本酒は中国の白酒とはちがうということを漠然と知っているだけだった。でもさまざまな種類の酒を飲んでいるうちに、ワインとはまったく異質だが、同じように奥深くゆたかな世界が広がっていることがわかった」とブッフ氏は振り返る。
すっかり感動した彼らは、日本語が不自由であるにもかかわらず、冷酒だけではなく燗酒やひれ酒など、居酒屋で飲める酒はすべて試し、大量に日本酒を買って帰国の途についた。
その後自宅でお土産の日本酒を友人と開けたのだが、たまたまそのときに参加していた知人の中に日本酒の輸入業を営んでいる人がいたのである。このインポーターと文字どおり酒を酌み交わす中で生まれたのが、「フランスで酒蔵を作ってみたら」という、「ほとんど最初は冗談のような」アイデアだった。
梅津酒造で半年修行
だがご想像のとおり、当時のブッフ氏には日本酒作りについての知識および技術が圧倒的に不足していた。これを補うため、2015年に彼は前述のインポーターの友人から紹介された鳥取県の梅津酒造で半年の修業に勤しむことになる。
伝統的な日本文化が色濃く残る酒造りの環境に戸惑うこともあったというが、日本酒への情熱と周囲の支えのおかげでなんとか乗り越え、さらに数カ月、東京・吉祥寺のにほん酒やという居酒屋で実地訓練を経たのち、2016年に帰国。
銀行からの融資と家族からの支援をえて、豊富な軟水の湧き出ることからえらばれたぺリュサンの地でついにLes Larmes du Levant−昇涙酒造は稼働しはじめる。
ちなみにこの名前についてだが、「日出ずる国」の仏訳である「Pays du soleil levant(直訳すると)昇る(=levant)日の国」とフランスで日本酒の紹介者として知られる黒田利郎氏の著書「L’Art du saké(芸術としての酒)」の一節、「日本酒は酵母が発酵中に流した涙」のふたつからとったという。
ただ当時のフランスでは、日本を観光で訪れる人の数が増えていたとはいえ、日本酒がどのような飲み物であるか知っている人はほんの少数であったとブッフ氏は語る。そのため、酒蔵オープン後のかなりの時間は日本酒のおいしさやその歴史、また蒸留酒ではなく、ワインのように食中酒であることをソムリエやシェフに説明することに費やさざるをえなかったという。
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