「奇界遺産」佐藤健寿が現在に至った偶然と必然 子ども時代に観たオカルト番組が興味の根源

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佐藤:90カ国ぐらいまでは数えていたんですけど、段々曖昧になって。今は「120カ国くらい」って答えるようにしてます。多分その前後かなと(笑)。昔は、一度日本を出たら3カ月くらいは行きっぱなしでしたけど、最近は、行っても2週間くらい。海外取材は1年で延べ3〜4カ月ですかね。どれもコロナ前の話ですけど。

なぜ奇妙になったのかという「歴史」を大事にしている

──旅先を決めるうえで、大切にしていることは?

佐藤:「ビジュアル的な奇妙さ」も大切ですが、なぜ奇妙になったのかという「歴史」をすごく大事にしています。奇妙な場所って、必ず何か「ねじれた歴史」のようなものが存在するんですよね。撮影していくと、その文化に行き当たらざるを得ない感じになってくる。それがまた面白いんです。

「奇界遺産」からエリア51。(写真:佐藤健寿)

──「ねじれた歴史」というのは、具体的にはどのようなことですか?

佐藤:例えば「エリア51」がなぜ、“UFO基地”と呼ばれるようになったのか? その歴史を辿っていくと、“冷戦”に行きつくんです。50年代、アメリカ政府が秘密裏に建設した航空基地をソ連のスパイ衛星に撮影されてしまい、米政府は“そこに何かが存在すること”を認めざるを得なくなっていった……とか。

そういう不思議な場所の歴史的な背景を調べることで、よりその場所を奇妙に感じるようになります。さらにUFOに関していえば、心理学的な問題も加わってくる。分析心理学者であるユングの本には「第二次世界大戦中、世の中はすごく疲弊していた。だから戦後、アメリカ国民は空に調和の象徴として円形を見出そうとしていたんじゃないか」みたいなことを書いているんです。

で、実際にUFOの目撃が多く叫ばれ始めたのも、第二次大戦直後から。戦争が終わって、アメリカでは「次の敵はソ連だ」、ソ連でも「アメリカが新たな敵だ」って風潮になって、互いに偵察機を飛ばし合っているという噂が民間に広まったんです。それでみんな「核爆弾がいつか落ちてくるんじゃないか」と頻繁に空を見るようになった。その頃から急に「空に不思議な物体を発見した」という報告が増えはじめわけです。

──面白いですね! それから「エリア51」は“UFO基地”と呼ばれるようになった?

佐藤:米政府は「ソ連の偵察機かもしれない」って思っていたようです。あとは漫画みたいな話ですが「ナチスの生き残りがUFOを作ってるんじゃないか」って噂が広がったりして。でも、冗談で済ませるにはあまりにも報告が多いから、一度ちゃんと調べてみようとなって、アメリカの軍部が調査チームを立ち上げたわけです。

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