「自分の飛距離」を知ること

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プロゴルファー/青木 功

 2003年までおよそ30年続いた日本プロゴルフマッチプレー選手権は、自分を育ててくれた大会と言ってよいものです。1970年代前半からジャンボ尾崎と賞金王を争う立場になったのですが、ちょうどそのころ始まったのが日本マッチプレーでした。
 マッチプレーは得意な試合の一つで、目の前の相手だけと戦えばよいので、言ってみれば心理戦。相手に自分の心の内を見せなければいいんです。余談ですがこれはゴルフではできるんですが、私生活ではまったくダメ。女房には全部見抜かれてしまいます。

78年、その日本マッチプレーで勝って招待を受け参戦したのが、ロンドンで開催された世界マッチプレー選手権でした。飛行機は往復ファーストクラス、宿泊は一軒家、しかもメイド付きのもてなしといいますから、女房と新婚旅行気分で出掛けてみたのです。
 行ってみると、そこにはジャック・ニクラスなど世界中のトップクラスの選手が集まっていました。旅行気分で出掛けたものの、自分だって日本の代表選手、もはや遊び気分で試合はできません。出掛ける前に女房に言った「すぐ負けて、ヨーロッパを回って遊んで帰ろう」、そんな約束はすっかり忘れ、ピリピリムード。その甲斐あってか優勝したのです。「世界の青木」、と言われるようになったきっかけは、この試合でした。

開催コースはロンドンの空港に近いウエントワース。そんな経緯から10年ほど前、このウエントワースでマッチプレーを再現、決勝戦と同じ所へボールを打って、当時どんな心境でプレーをしていたか、その心理を振り返ろうという番組の企画があったのです。「こりゃあ、面白い」、そう思って出掛けたんです。
 しかし78年ごろはドライバーのヘッドはパーシモン、そのとき持っていったクラブはチタンですから、ボールの飛び方が違うんです。
 ティーグラウンドに立って、「右の林が気になるからといって左サイドを狙うとバンカー。心に逃げの気持ちがあると、あのバンカーにつかまる」。そう言って実際に打ってみると、ボールはそのバンカーのはるか先へ飛んでしまう。アイアンで打ってみても、ボールとクラブの進化から当時の番手は持てず、結局、番組として放送されることはありませんでした。

プロゴルファーは遠くへ飛ばす距離よりも、正確な飛距離が命です。今のチタンヘッドの前にメタルヘッド時代があったのですが、自分が試合で使えるようになるまで数年間を要しました。確かに飛ぶことは飛ぶんですが、ドライバーショットのボールが落ちてから転がる距離がなかなか推測できず、心配だったのです。
 アマチュアの方々も、自分の飛距離を知っている人がうまいゴルファーと言えるわけです。

プロゴルファー/青木 功(あおき・いさお)
1942年千葉県生まれ。64年にプロテスト合格。以来、世界4大ツアー(日米欧豪)で優勝するなど、通算85勝。国内賞金王5回。2004年日本人男性初の世界ゴルフ殿堂入り。07、08年と2年連続エージシュートを達成。現在も海外シニアツアーに参加。08年紫綬褒章受章。
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