「私が通っていた高校は、地方によくある『自称』進学校でした。田舎の公立進学校ってだいたいそうだと思うんですけど、地元国公立至上主義で、そこに進むことをめちゃくちゃ勧められるんです。1年生の時にはわざわざ学年全員でバスに乗って見学しにいったりしていましたね。そんなだから、私も1年生ぐらいまでは地元の国公立を目指してたんですが、2年生の時に『やっぱり都会の私立に行きたい』と思うようになって」
上記のような理由で、東京の私大への進学を決意した志保さん。となると、気になるのは両親が負担してくれる割合だが、どうだったのだろうか。
「家賃・生活費・学費のうち、親が出してくれたのは、学費の半分でした。一人暮らししたことがなかったので、どれくらいのお金が毎月必要なのか、いまいち想像できず、無利子の第1種、有利子の第2種ともに満額を借りることにしました。今思えば、もっと少なくしておけばよかったんですけど……」
この時点で、その後始まる返済生活に暗雲が立ち込めている印象だが、焦らず、時系列に沿って聞いていこう。
東京進学も「落とし穴」が…
多額の奨学金を借りてまでも夢見た、東京でのキャンパスライフ。希望した大学には受かったが、落とし穴があった。そのキャンパスがあるのは都内ではなく、神奈川だったのだ。
「それまで地元から一度も出たことがなかったので、聞いたこともない地名でも『地元よりは都会でしょ』と思ってたんです。でも、いざ行ってみると、キラキラの東京ライフという感じではなくて……。とはいえ、合格した大学の中では一番偏差値が高かったので『まぁ、いいか』と、わりとすぐに気持ちは切り替わりました」
高校時代こそ、テレビで見るような華やかな東京生活に憧れていた志保さんだったが、実際に東京(正確には神奈川だが)で暮らし始めたことで、自分でも気づかなかった一面を知るようになる。いわゆる、文化系の人間だったのだ。
志保さんが一人暮らしを始めたのは、大学と横浜の中間地点にある街。それが影響し、次第に横浜・若葉町にある名画座「シネマ・ジャック&ベティ」に通う日々が始まった。
「『ジャック&ベティ』は一般的に想像される、2本立て的な名画座ではなくて、単館系の新作ロードショーを、他よりも少し遅めに上映しているような映画館です。昔ながらのレトロな映画館で、映画好きが集まるせいか客層も良くて、雰囲気がすごくいい場所で。そこで1日3本立て続けに見たりしていました。友達とどこかに出かけて遊ぶタイプではなかったので、『ジャック&ベティ』にこもっているか、学校行っているか、バイトしているか……そんな学生生活でしたね」
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