ボディビル世界王者が指南「才能開花」の3条件 素質以上に大事な「とことんハマる性分」
やり込むたびに自信につながる
夢を見続ける限り、次のチャンスは黙っていてもやってきます。だからうれしいときはとことん喜べばいいし、悔しいときはとことん悔しがればいい。感情に浸るとパワーチャージされ、さらなる成長と次なる挑戦に向かって再び歩み出せるから。そう言えるのは、本当に歩みが止まるときというのは、成長と挑戦への意欲が薄れたときだと、私自身が今、身をもって理解しているからです。
ボディビルディングにかける想いは選手それぞれに違うと思いますが、私はやればやるだけ自分という存在に自信がもてるから、だと考えています。
どのような人生を歩むにしても、本質的な部分での生きる目的は自分自身を知り、成長を促し、存在価値を高め、認めて愛するところにあると感じています。
私の場合、その目的を果たすための手段がボディビルディングという、どこまでも自分と向き合い続ける行為だったというわけです。
己と向き合う競技人生から見えた「成功哲学」
現在のようなボディビルディング競技が本格的に世界で始まったのは、1960年代と言われています。
70年代に入りアーノルド・シュワルツェネッガーの存在により市民権を得ました。日本では60年代に入る少し前から始まったとされていますが、概ね同じような時期が草創期ということ。つまりは、まだ60年くらいしか競技としての歴史はないのです。
たった60年、されど60年。アメリカでIFBB(国際ボディビルダーズ連盟)が発足し、オリンピアを開始。アメリカを軸とした「プロリーグ」とヨーロッパを軸とした「エリートプロ」との分裂を経て今に至ります。
バスケットボールやベースボールなどのメジャースポーツと比べれば、非常にマイナーではあるけれども、愛好者たちの愛がとにかく深いという特徴があります。それはなぜか。あくまで想像ではあるけれども「強くありたい」と願う人間としての本望を満たし、自分自身に揺るぎない自信をもたらしてくれる唯一無二の悦びがそこにあると、気づいているからだと思うのです。
日本は流行り廃りのサイクルが非常に速い国なので、今のフィットネス熱がブームとして過ぎ去らないことを願うばかりなのですが、世界的に見れば、これまでがそうであったように、これからもどんどん進化し続けていくジャンルでしょう。
強くなりたい一心で始めたウエイトトレーニングですが、その出合いこそが、のちの私の人生を大きく変え、そして決定づけました。筋トレをガムシャラに続けていくなかで得たものは、もう数え切れません。自分自身の強さを知ったし、同時に弱さも知りました。これ以上ない喜びに満たされた瞬間もあれば、それを凌駕するくらいの挫折も味わいました。
逃げ出したいとの想いが頭を横切ったのは一度ではありません。実際、別の道を選ぶことだってできたはず。だけれども、私は逃げ出さなかった。いや、逃げ出すことができなかった。ボディビルディング以外の何かでは満たされない自分が、厳然と存在しているからです。
他者からの評価で勝敗が決まる世界だからこそ、私は己のために鍛錬を積んできました。鍛錬の先で自信を勝ち取り、慢心に陥った先で感謝を知る。つまり、私はトレーニングをすることで、自分の人生を生きることができているのです。
大会出場の幕は閉じるけれども、筋トレは生涯現役。「私は強いか」「なりたい自分になっているか」との自問自答の哲学は、まだまだ終わりが見えません。
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