『蜩ノ記』監督が継承、「黒澤監督の仕事術」 「すべてに手を抜かない」を受け継いできた

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――小泉監督はもともと写真のカメラマンだったと伺っています。そうした経験も生かされているのでしょうか?

高校を出て、どこにも行くところがなかったのでカメラマンになったという経緯です。要するに挫折ですね。フィルム会社の重役だった僕のおじさんから「写真学校を出たら、うちで拾ってやるよ」と言われて。それで写真の学校に行ったわけです。それほど写真に興味があったわけではないのですが、やっているうちに面白くなった。当時、「水俣」などを撮ったユージン・スミスというカメラマンに憧れていました。

黒沢監督のところで仕事をしたかった

――それから黒澤さんのところに?

いえ。その後、少し勉強しようかと思い、早稲田大学に行ったんです。そこで黒澤さんの映画を観て、映画の世界に行きたいなと思うようになりました。僕は写真をやっていたので、黒澤さんのレンズの使い方や、照明などに非常に興味を持ったわけです。映画でこういう撮り方ができるのかと思って。どうせ映画をやるのなら黒澤さんのところで勉強をしたいと思い。それで黒澤さんのところへ行くようになりました。黒澤さんがいなければ僕は映画の仕事は続けていなかったし、黒澤さんがいたから映画という仕事も続けることができたと思います。

©2014「蜩ノ記」製作委員会
©2014「蜩ノ記」製作委員会
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