600万部の数字ではテレビでは打ち切りに--『人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ』を書いた吉田正樹氏(吉田正樹事務所代表、元フジテレビ・プロデューサー)に聞く

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600万部の数字ではテレビでは打ち切りに--『人生で大切なことは全部フジテレビで学んだ』を書いた吉田正樹氏(吉田正樹事務所代表、元フジテレビ・プロデューサー)に聞く

数々のヒット番組を手掛けたプロデューサーが、自らの「テレビ人生」の現場を赤裸々に振り返った。浮き沈みの激しい中で、「マイナーなものからメジャーなものをつくっていく」秘訣は、全面的な自己肯定にあるという。

--団塊の世代に、いじめられた世代ですか。

今、ぼくは50歳。その前にフジは定期採用をしてないから、一回り上の団塊の世代が前の世代となり、間がかなり空く。ぼくらが入ったころ、その世代は30代前半のイケイケだった。有名な横澤彪さんはそのまた上、いわば「おじいちゃん」。結構やさしくしてもらえたが。

--30代がイケイケ?

クリエーターとして、いちばんいいものをつくるのは35歳前後。当時、「オレたちひょうきん族」を手掛けたり、その後も何か当てているのはその前後の人。とても体力を使う仕事なので、40を越えると徹夜続きに無理がきかない。かといって、20代では失敗経験が少なすぎて、経験も生きない。

映画監督、小説家は1人で完結できる。だが、テレビは100人、200人のスタッフを束ね、動かす。ある程度のキャリアと指示に説得力がないと動かない。タレントも技術者も、この人が言うなら大丈夫とならない。22~23歳でテレビ局に入って12~13年、ちょうど一回りするぐらいの35歳は、まだまだ欲望もあって、ちょうどいい。

--現場では見よう見まねで覚えよと。

丁寧に教えようとはしなかった。とにかく自分たちがよければそれでいいというところがあった。やりたいことをやって、ひょうきん族の後はぺんぺん草も生えなかったというのが実感。もともとバラエティをやっている人は根が暗い。うらみに思ったりする。しかし、それがエネルギーになるのだが。

いま若者が何かと不安だと言う。それは無理もないかなと思う。ぼくは、せっかく教えてもらったことを次代の若者に差し上げようという考えだ。もともとサラリーマンで組織の人だったから。

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