東京タワーや通天閣「観光写真」開拓した男の人生 全国の観光地で写真撮影を手がける文教スタヂオ
文教スタヂオの社員、スタッフは単に写真を撮って販売するだけでなく、それぞれの現場で「施設にいかに貢献するか」「施設を一緒に盛り上げていくか」を一生懸命考えている。これが、ほかの写真業者とは最も違うところだろう。一圓泰三の「“自分から出ていく”積極性”」はこういう形で受け継がれているのだ。
あるテーマパークの社長は「私は結婚式によく呼ばれます。うちの施設で撮った記念写真が“2人の想い出”としてスクリーンで紹介されますが、それがほぼすべて文教スタヂオさんの写真なんです。その影響力は想像以上です」と語った。
生前の泰三に、筆者は3回インタビューしている。質問に対して「よう聞きなはった」「おっしゃるとおり!」と打てば響くような答えが返ってくる。90代半ばとはとても思えない若々しさだった。
文教スタヂオグループ経営の彦根キャッスルホテルで行われたOB会では、OBたちのテーブルを軽やかに回って、写真を撮る姿が見られた。多くのOBよりも20歳近く年上だったが、一圓泰三が一番若く見えた。創業者のこの明るさ、積極性が、同社発展の原動力ではあっただろう。
コロナ禍が文教スタヂオに与えた影響
新型コロナ禍で、観光業界は壊滅的な打撃を受けた。文教スタヂオのダメージも強烈だったが、そんな中で各施設では「清掃をしよう」など、今できることを考えて動く社員もいた。苦渋の決断ではあったが、非正規雇用スタッフのかなりの数は解雇せざるをえなくなった。この仕事が好きでたまらないスタッフには「コロナが明けたら必ず声をかけるからな」と伝えていた。
コロナ禍が明ければ、旅行や観光のスタイルは大きく変貌すると思われる。社長の泰成は、VUCA時代(予測が難しい時代)に対応すべくIT、DXも取り入れた新たなビジネスモデルを模索している。
泰三は、コロナ禍になっても出社し、会長室で毎日の売り上げ報告を見てはため息をついていたが、2020年12月8日、太平洋戦争、真珠湾攻撃が始まったのと同じ日に逝去した。
二代目社長の泰成は大阪芸術大学写真学科で学んだが、学科長だった世界的な写真家の岩宮武二から「君の親父さんは写真を撮ったらすぐに金に換えられる仕事を編み出したすごい人だ。世界中を探しても右に出る者はいない。つまり世界一速い写真屋だ」と言われたという。
泰三は、華やかなカメラマンとはまったく異なるビジネスモデルを確立したのだ。見事な生涯だったのではないか。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら