50歳肺がんで逝った男がネットに遺した生きた証 没後も「終わらないブログ」で家族や仲間が賑わう

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<14日 (火) 会話も出来なくなりましたが、 目や首を動かし
コミュニケーションをとってくれました。
もう時間毎に酸素が低下 意識も朦朧としていましたが、ウトウトはしますが寝ようとしませんでした。
夕方過ぎからは私も見てれないほど、呼吸が苦しそうで何度か
深い眠りに入れる鎮静薬を勧めました。
でもオヤジは首を振り続け拒みました。
聞き取りにくい、僅かな声で「みんなと居たい」と言いました。>
(2017年2月20日 「ありがとう」/生き続けてやる肺がんオヤジのつぶやきNo.2 https://life417.hatenablog.com/entry/2017/02/20/005944

2017年2月15日、hiroさんは家族と友人に見守られて50歳と10カ月の生涯を閉じた。

2つの“終わらないブログ”

「突然ですがブログ内で花見しませんか?」

2015年2月20日の訃報記事。亡くなる数日前からの状況をKaoさんが丁寧に綴っている

ブログメンバーのスケサンがそう提案したのはhiroさんが亡くなって1カ月半が過ぎた2017年3月の終わりだった。ブログが始まって間もなくの2015年春にhiroさんは近所の岸和田城の桜の写真をアップした。その印象が深く残っており、hiroさんと一緒に花見をするアイデアがわいたという。たちまち賛意が集まり、「さくら大作戦」の名で毎年の恒例行事となった。

hiroさんが亡くなった2017年2月の投稿は2件だったが、3月は5件、4月は9件と伸びた。夏以降は月に3件ほどのペースが続いたが、再びスケサンがブログ上でハロウィンの仮装写真をアップする企画を提案し、10月には13件に急増。以後も半年に1度のイベントをカンフル剤にして、ブログは今も終わらずにいる。

hiroさんの没後はKaoさんも代筆者ではなく本人としてブログに参加し、がんでパートナーを亡くした1人の人間として本音を綴るようになった。

<こんにちはKaoです
実はGW前後から少し気持ちが落ちていました。。
hiroに会いたい、話したい。
hiroの知らない
物や出来事、新しい物や未来に共感できない
娘が2月頃から原付バイクに乗りはじめ
軽傷ですが、3回も転倒。。
息子が中学生になり、思春期に入り、
反抗期(まだまだ、可愛い反抗ですが(笑))
今までは、色々な事を相談、話し合い決めてきたこと。。
hiroは見守ってくれてる、ボチボチで良い 大丈夫。hiroなら…とか思い 考え。
だけど、気持ちのどこかに「しっかりせな。凹んだらあかん!」と自分に喝を入れ。
そんな、色々なモヤモヤ、葛藤がありました
前回のスケサンの記事、スイカさんのコメント
嬉しく、また、立ち上がるパワーになりました!
やっぱり此処にはhiroが居てました。
モヤモヤ、ウジウジ がスッキリしました
大丈夫(*^_^*)
本当の意味で、無理せず 笑って ゆっくり、ボチボチ前を向き歩く力をもらえました。>
(2019年6月30日 復活!!」/がんと共に生きる!ブログ http://blog.livedoor.jp/ikirugan/archives/80283386.html
次ページ「チームブログのなかでhiroは生き続けていますから」
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