50歳肺がんで逝った男がネットに遺した生きた証 没後も「終わらないブログ」で家族や仲間が賑わう

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個人ブログとの書き分けもとくに意識しておらず、肩肘張らずに自然にできるかたちで続けることを優先していたようだ。そして、メールの最後に「何よりもいつか子供達が自分のブログを見た時に親父を思い出してくれたらとも思いますね」と添えられていたのが印象的だった。生きた証も最終的には家族に帰結するのだと。

「知っていましたが、見ないようにしていました」

2016年夏、告知から3年が過ぎた頃からブログの更新が重荷になってきたようだった。鎮痛剤の作用により、書いている間に眠ってしまうことも増え、集中力は減衰していく。11月中旬、緩和ケア病棟に入院してしばらく経った頃の日記がhiroさん自身によるブログ投稿の最後となった。

<きょうは外泊ですが
やっちやいました。
病院で転けてしまい腰を強打してしまいました。
何とか帰って来ましたが…
このままではどうなるのか不明で(笑)
取り敢えず今日の予定は全てキャンセルに
友人とお好み焼きの予定が…行きたかったな!
hiroでした。>
(2016年11月19日 「ついでに」/がんと共に生きる!ブログ http://blog.livedoor.jp/ikirugan/archives/67403238.html

ものが二重に見えたり手が震えたりと、身体の不調から長文入力が厳しくなってきた。Twitterの短文投稿はできてもブログの更新はできない。そんな日がしばらく続いたころ、Kaoさんが動いた。

<初めまして オヤジの嫁です。
オヤジのブログがあるのは知っていましたが、見ないようにしていました。
ですが、今日オヤジの大切な友人のひとりが 我が家に来てくれ、「ブログ みんな待ってるで~」と教えてくれました。
なので私がお邪魔しました(*^^*)
(略)
今日のオヤジは朝起きて ご飯もしっかり食べて 友人のおかげで楽しい
1日を過ごしました(´▽`*)
今日もしっかり生きましたよ(๑ •̀ω•́)۶ファイト!!>
(2016年12月10日 「初めまして」/がんと共に生きる!ブログ https://life417.hatenablog.com/entry/2016/12/10/235906

それから両ブログとも、hiroさんの携帯電話をKaoさんが操作して近況をアップするスタイルが続く。年が明けてからは脳腫瘍が悪化して痙攣が起きたり、肺機能の低下で酸素不足に苦しんだりすることが増えていく。それでも亡くなる2日前まで食事ができたのは、歯科衛生士であるKaoさんの口腔ケアによるところが大きい。

訃報に記された亡くなる数日間の記述を読むと、予断を許さない状況のなかで家族とhiroさんが極限まで対話していたことがわかる。

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