周りの期待に応えられる人と裏切る人の決定的差 その目的が「他人から見て見届けたい」かどうかだ
映画やドラマなどのストーリー作りに欠かせない概念として「CQ(セントラルクエスチョン)」というものがあります。耳なじみないかもしれませんが、実生活においても生かすことができます。
CQとは何でしょうか。拙著『「物語」の見つけ方 ―夢中になれる人生を描く思考法』でも詳しく解説していますが、映画などで言えば、下記のようなものです。
「主人公は迷宮の謎を解き、宝物を手に入れることができるだろうか?」
「はたして2人は無事に結ばれるだろうか?」
見る人が「何に期待して見ればいいか」
つまりCQとは、見る人が「何に期待して見ればいいか」を表現したものです。
予告編などは、このCQを伝えるためのものと言っていいでしょう。作品に期待を抱いてもらうには、どんなキャラクターが出てきて、どんなストーリーが繰り広げられるかをコンパクトに伝えて興味を持ってもらう必要があります。それを表したのがこのCQなのです。
具体例を出すと、日本映画の歴代記録ベスト3の映画で言えば下記のようになります。
『劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編』のCQ:「はたして、竈門炭治郎は無事に任務を達成できるだろうか?」
『千と千尋の神隠し』のCQ:「はたして、千尋は無事に元の世界に戻れるだろうか?」
『タイタニック』のCQ:「はたして、ジャックとローズは無事に結ばれることができるだろうか?」
CQ(セントラルクエスチョン)の最も重要な役割は、相手に期待をさせることです。人は、何に期待すればいいかがわからないとストレスを感じます。特に、情報があふれている現代では、短時間で相手の心をつかみ「期待」させる必要があります。そのため、できるだけ魅力的なCQを提示することが重要なのです。
それは人生でも同じでしょう。魅力的なCQを周りに感じさせ、共感や応援を得ることができれば、夢や成功に近づきやすくなるはずと私は考えています。
では、世間一般の人が、自身の人生をCQという形で表現するとしたらどうなるでしょうか?
私であれば「はたして、たちばなはこの記事を読んだ人を満足させられるのか?」とか「はたして、たちばなは『全裸監督』以上の作品を世に送り出すことができるだろうか?」などと言えるでしょう。
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