「小保方問題」は問題?問題ではない? 【特別対談】やまもといちろう×茂木健一郎
茂木:うーん、そこは山本さんと意見が違うところだな。僕は基本的にアナーキーなので、実は博士号も学歴もいらないと思ってるんですよ。もっと言えば、実績だっていらない。だって実績って、過去の論文の数とかそういうことでしょう。本来、ある仕事について評価をするのに、最終的に判断材料にするべきなのは「その人が今、何をやっているか」だけだと思うんですよ。
それで、彼女は科学者なんだから、STAP細胞について研究していて、それが本当にあれば素晴らしいし、やはり無かったということであれば、「無かったんだ」というだけのことだと思うんです。何だか小保方さんを批判している人って、すごく定型的な批判をするじゃないですか。
山本:「不適切な方法で卒業している」とか、「自分はこんなに苦労しているのにあいつはD論もまともにやらないで博士号を取っている」とかですよね。ざっくり言うと、従来のフレームワークで学術研究をやってきた人からすると、彼女はフレームからはずれすぎていて、異物なんだと思います。
茂木:僕は「はずれている」こと自体はおおいに結構だと思う。むしろ「はずれている」ことを許容できないことが問題だと思うんですよ。
勘違いしてほしくないのは、僕はね、別に小保方さん支持じゃないんですよ。テレビのお笑い番組で放送するかどうかでもめる前から、小保方さんをネタにしたコントを作ってyoutubeで流したり、バカンティ教授は略して「バカ教授」でいいんじゃないの? なんて言っていたくらいです。でも、それとこれとは別なんです。「大学の自治をどこまで尊重するか」といった判断はあくまでも冷静な観点からするべきだと思うんですよ。
評価基準は必要か、不要か
山本:そこは従来のフレームワークを大事に思うかどうかだと思うんです。つまり、大学における評価の仕組みの成り立ちや、優秀な学生を選抜するための定型的なメジャーを信用するかしないかの差だと思う。
茂木:僕は大学のそういうメジャーをまったく信用していないんです。
山本:私はいくら私学と言えども、大学のように公共的な性格を持つ組織である場合、納得性のある基準を建前上もっておかないとまずいんじゃないかと思うんですよ。
茂木:僕は、むしろ同一基準をあてはめるのが絶対におかしいと思う。「リバタリアン」的な世界観は、もちろん行き過ぎてしまえばマズいけれども、ある程度は許容すべきだと思っている。日本って、本当の意味での「自己責任」を持たせてくれない社会という気がするんですね。「それぞれ個人がやりたいようにやって、競争して、結果としていいものが残る」というのがいいんじゃないかと思う。