「小保方問題」は問題?問題ではない? 【特別対談】やまもといちろう×茂木健一郎

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山本:ある程度「自己責任」を持ってもらうことが重要なのはもちろん個人的には分かるんですけど、今の日本の議論では「自己責任」ってわりと本質から外れた脇におかれているところがありますよね。私はアナーキズムやリバータリズムから遠い保守主義者ですが、しかし社会全体の問題を解決するためには私も含めた構成員一人ひとりの犠牲や献身は必要だと思っていて、現にいまの日本での議論においては「一体的な社会保障をしなければ」「税体制における若い世代の負担の比重を下げなければ」「少子化を解決しなければ」というほうに重点がおかれている。それはそれで悪く無いと私は思っているんですね。

というのも、「自己責任」という言葉は、困った個人に対して国が「それは自分でなんとかしてください」というときに都合よく使われてしまうケースもあると思うんですよ。これからの日本社会にはあきらかな衰退が待っていて、みんなが平等にごはんを食べられないような社会に近づいていかざるを得ない。いままでは、老後まで国が責任持って面倒を見ます、と言っていたのが、人口のバランスも経済状況もおかしくなって、その保証が怪しくなってきた。なので、余裕がないからと水準を引き下げるとどこかで必ず割を食う人が出る、それもシングルマザーや身寄りのない老人のような、弱いところにしわ寄せがどうしても行ってしまう。

そうなったときに、「自己責任」という概念が前に出てきてしまうとまずいことが起きるのかな、という問題意識があるんです。「シングルマザー? 自己責任でしょ?」みたいな。

ネットでは強い意見に集約されていく

茂木国がどんどん衰退している状況だからこそ、「パイを大きくするようなことをどんどんやるべきだ」と僕は思うんですよね。そして、そのためには、みんながもっと自由にものを考えなければいけないと思っているんですよ。

山本:お話は良く分かります。自由にモノを考える上で、インターネット、とりわけツイッターやフェイスブックは相応に役割を果たしていますね。

で、そのツイッターは、基本的には「言いっぱなしのメディア」ですよね。よほどの有名人でない限り、自分の意見や感想をつぶやいたところで、誰かからツッコミを受けて、「ちょっと過剰な意見だったかな」と調整されていくこともない。結局、強い意見にだんだん集約し、多様な意見は失われていっているという統計もすでに出てきています。だからこそ、一つの意見が過剰に増幅されていく側面がありますよね。そしてその増幅された意見が同調圧力になっていく。

兵庫県議会の野々村議員の「号泣事件」にしても、日本国民はちょっと面白がりすぎてしまった面はあると思います。実際、彼が社会復帰するのはかなり難しいでしょう。物事のよしあしを論ずる以前に、エンタメとして面白がりすぎてしまって、破壊的な影響を及ぼしてしまうのはちょっと問題なのかなと。

茂木:それは本当にそうだよね。

山本:小保方さん問題も、そのような側面があるのは間違いないので、そこは自重しなければいけなかったところもあるでしょう。さすがに、笹井さんの自殺問題で一気にネタとしての面白がられ方は消え去りましたが。ただ、「研究の捏造」といった問題に関しては、やっぱり曲がりなりにも科学を担ってきた人たちへの敬意や尊厳を考えれば、さすがにまずいと思うんですよ。それは実際「物事のよしあし」レベルの問題だと思うので。これがお咎めナシとなると、ほかの真面目に研究をしている研究者たちの立場が無くなりますよね。

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