渋沢栄一が命狙われた暴漢に金銭支援した深い訳 代表作「論語と算盤」の根底にあった思想とは

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渋沢栄一はどんな信念をもとに行動していたのでしょうか(写真:今井康一)
渋沢栄一の代表的な著書といえば『論語と算盤』です。その中では道徳と経済を両立することを説いていますが、そうした思想の背景には何があったのでしょうか。歴史学者の濱田浩一郎氏が解説します。

渋沢栄一は、大蔵省在任中に銀行制度や簿記法の調査に携わっていたこともあり、経済や商業に深い関心を抱いていました。そして、日本経済の将来を考えれば考えるほど自分は政府にいるだけではダメだと思うようになったようです。

政府が貨幣法を定めたり、興業殖産の世話をしたりしても「今日の商人ではとうてい日本の商工業を改良進歩させる事はできないであろう」から、自分が大蔵省を退官して、商業界に身をおき、商業に一大進歩を与えようと志望したのです。

渋沢の上司である井上馨は、財政の健全化に努めていましたが、司法省や文部省は過大な予算要求をするばかり。井上はそれを拒否しようと奔走しますが、受け入れられず辞職(1873年5月3日)。彼に共感する渋沢も井上とともに辞表を提出するのです。

官界にばかり有為な人材が集まるのは不幸

「もうすぐ大臣にもなれるかもしれないのに、もったいない」と退官をいぶかり残念がる周囲の声に渋沢は「渋沢に働きがあると見てくださることは感謝にたえませんが、もし私に働きがあるとすれば、なおさら官界を去らなければならない」と語ったとのこと。

有為な人材が官界にばかり集まるとすれば、民業(民間事業)にとって不幸、日本国の発展も望めない。また、商工業者であることを恥辱に思い、政府の役人たる事を光栄に思う風潮があるが、この間違った考えをただすことが急務であると渋沢は考えていたのです。

そういったことをなしていくのは「男子の本懐」と渋沢は考えていました。「論語一巻を処世の指針として、これによって商工業の発達を謀ってゆこう(中略)民間に品位ある知行合一の商工業者が輩出して、経営の任に当る」環境を作ることを渋沢は希望したのでした。

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