「大学進学の壁」あまりにも高い里子たちの苦悩 日本には「学ぶ権利」を剥奪された子どもがいる

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現在、高校3年生になった絵美さんは、多くの学生を有名大学に輩出する関東圏の公立の進学高校に通いながら大学進学を目指している。ところが、今も大学進学には高い壁がそびえる。

というのも、18歳を機に国庫負担金を原資とする国からの援助が打ち切られるからだ。児童福祉法のもと18歳になると「自立」を求められ、児童養護施設や里親家庭から原則的には出なければならない。この問題は「18歳のハードル」とも言われている。

今、彼女は貸与型ではなく、大学の授業料などが免除される給付型の奨学金制度を利用して、大学進学を目指している。

なぜ大学進学を目指すのか?

決して恵まれたといえない環境の中、なぜ10年以上、学ぶ努力を続けられたのか? それを彼女に尋ねると、「夢のため」と答えたあと「私の夢は、家族を持つことです」と教えてくれた。里親である鈴木さんたちに引き取られてまもない頃、温泉地に遊びに連れていってもらったことがあり、そのときの記憶が今でも鮮明に残っているのだという。

「里子になって1カ月ぐらい経った頃、ある温泉地に連れていってもらったんです。旅行もバイキングも何もかも経験したことがなくて、すごいって思いました。そのとき、私も家族を作りたいって思ったんです。家族を作って、こんなふうにみんなでバイキングをしたいなぁって。そのためにはどうしたらいいか、鈴木さんたちとも話し合いました」

記憶に残る楽しい経験や、鈴木さんの家庭を参考にした結果、彼女は大学進学の夢を抱き、勉強に励むことになった。

もし彼女が里親に出会えず、児相の一時保護所での生活がもっと長く続いていたり、保護所と自宅を行ったり来たりなどしていたら、今のような状況にはならなかったかもしれない。彼女の話によれば、児相での学習支援は、一時保護所の児童指導員や、非常勤講師として雇われた教員OBや学習支援員(もしくは学習指導員)などが担当していたようだ。そこでは学校のような授業はなく、20名ほどの年齢の異なる子どもたちが男女混合で1つのクラスにまとめられていた。

「同じクラスには九九ができずに泣いている子どもがいました。泣きながら勉強をしているのは、あまりいい光景ではありません。また、何度もそこを出入りしていて、普通の生活を送れていないんだろうなという子もいました。施設から外に出ることは許可がいりましたし、食事もおいしくありませんでした。鈴木さんの家に行ってから、もう二度とあそこには戻りたくないと思いました」

約8年のキャリアがある元児相職員の話では、勤務した数カ所の児相では、学校の通学支援を行っていなかったという。一度離した親が子どもを連れ戻したり、子どもが逃げだしたりすることを予防するには、職員が毎日子どもを送迎する必要があるが、人手不足からそうした余力がなかったという。

「もともと児相に来る子どもたちは、勉強の苦手な子ばかりです。家庭の中でも、学習指導がなされていないため、学ぶ習慣や、学び方がわからないことが多い。一時保護所に1年以上預けられて、学校に通学できていない子もいました。学習支援は必要です。しかし、児相では、まずは子どもたちの安全を保障し、命を守ることが最優先です。そうなると、どうしても人手が足りず、学習支援は後回しになってしまいます」

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