「ポチ=犬」と勝手に解釈する人に欠けている視点 先入観がモノの見方をおかしくしてしまう

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強い犬でもよくほえる犬がいるとしたら、「ポチが弱い犬である」という結論が必ずしも正しいとは言えないことになります。以下のような文章がより正確だと言えるでしょう。

「弱い犬はよくほえる。犬のポチはよくほえる。だからポチは弱い犬である可能性が高い」

あるいは事実はどうあれ、論理の整合性ということであれば、以下の文章も成り立ちます。

「すべての弱い犬はよくほえ、すべての強い犬はほえない。犬のポチはよくほえる。だからポチは弱い犬である」

一見まともな文章にも矛盾が潜む

漫然と文章を読んでいるだけでは、これらのことを細かく吟味することなく通り過ぎてしまうでしょう。では、次の問題です。

「人間はたんぱく質と水からできている。脳は人体の一部である。だから脳もたんぱく質と水からできている」ということは正しいでしょうか?

常識的に考えるならば、この文章で合っています。実際、脳も人体のほかの組織と同じく、たんぱく質と水からできています。ただし、論理として成り立っているかはまた別です。

人間がたんぱく質と水からできていて、脳が人体の一部であることは事実だとしても、上の文章は、脳がたんぱく質だけからできている場合も、あるいは水だけからできている場合も矛盾しません。実際はありえませんが、この前提の文章だと、このような場合もありえます。

常識的には一見まともそうに見えても、論理的には矛盾が生じている。上の文章を正しいものにするには、以下のように書かねばなりません。

「人間の細胞はたんぱく質と水からできている。脳は人体の一部である。だから脳もたんぱく質と水からできている」

脳も細胞から構成されていますから、人間の細胞がたんぱく質と水からできているのであれば、当然脳もたんぱく質と水からできていると言えるわけです。最初の文章の場合、「人間はたんぱく質と水からできている」という前提がおおざっぱであり、不正確な記述なのです。

文章を、このように細かく吟味し、論理的に検証しながら読み解くことが必要になります。ちなみにこれらの3段論法は、論理学的には「演繹法」として知られています。普遍的な法則や真理があり、それを積み重ねて結論を導く。数学的な記号で表すとA=B、B=CならばA=Cという論理構成です。

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